「えーっと、胡桃堂フレンドをひとつお願いします」
やんわりと店員は繰り返した。
「胡桃堂ブレンドですね」
「あ、いえ、胡桃堂 フレンド をお願いします」
*
お客さんにメニューを見せてもらうと、確かに胡桃堂"フレンド"と書かれている。
まじまじと見つめても濁点だけがきれいに消えている。
他の席のメニューも確認したが、
どうやらその席のメニューにだけ、濁点がない。
印刷ミスかしら‥。
受けたこのオーダーをどうするか
キッチンに戻ってひとしきり相談をした。
いつからあるのかわからない
「約束を守る」という張り紙が私たちを見下ろしている。
——メニューは、お客さんとの約束のひとつ。
こちら側の事情はあれど、
メニューに載せているものを簡単に切らすことはしない。
使い込まれたメニューにはお客さんとの信頼関係が宿っている。
私たちはずっと、お客さんとの約束を守ろうとしてきた。
*
「お待たせしました。胡桃堂フレンドです」
湯気がのぼる珈琲をゆっくりと客の目の前に差し出した。
安定したその所作、眼差し。
何ひとついつもと変わらない。
彼女がエプロンを着けていないという点を除いては。
2つめの珈琲を客の向かい側に置き
ゆっくりと腰掛ける。
「じゃあ、飲みましょうか」
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