うんうん、うなったんですが「自分は読み終えたので、次の誰かに読み継いでもらいたいと思った本」がありませんでした。。好きな小説は手放したくない。ナントナク手に取ってパラパラして、数行でも数ページでも夢中になれる瞬間が、たまらく好きです。
ってアンタ。じゃあ投稿するなって声が聴こえてきそうで、たしかにそうなんですが。今回は多めに見てください。私の投稿は、番外編ということで「追加で一冊買ってでも人へすすめたい」という基準で選ばせてもらいました。
加えて今回は、好きなところやその小説との思い出、ということなので......歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』を紹介させてください。本の中身より読書体験が先にくる一冊、というテーマなら私は『葉桜の季節に君を想うということ』を抜きには語れません。
詩的なタイトル&「こんなミステリーがあるのか」と読んだ当時、驚いたものでした。2023年の現在は動画コンテンツが飽和していますから、この本の面白さを味わえないかもしれませんが、少なくとも読書ならではのミステリーが味わえるという点で、オススメです。
本題です。
この小説との思い出は、旅の思い出でもあります。
『葉桜の季節に君を想うということ』を私が読んだのは19年前の4月下旬です。場所はオーストラリアのシドニーでした。正確に言うと、世界文化遺産としても有名な、オペラハウスの最寄り駅であるサーキュラーキーという駅から、南東にバスで30分ほど行ったボンダイビーチで読みました。
当時のシドニーの気候は、日本で言うところの秋のような気候で、それでも日中の日差しは強く、日本の夏のように照りつけます。日本とは違い、湿度がなく、カラッとしていたことを覚えています。
ボンダイビーチには芝生のエリアがあって、そこに私は裸足で寝転がる。現地の人たちに混じって、一人で読書をするというのが、この旅の目的でした。このときの私は、一人で読書休暇をしに、シドニーに来ていました。スーツケースに単行本を十数冊詰め、それをビーチで読むというだけの休暇です。持って行った本のなかでも『葉桜の季節に君を想うということ』には格別な思い入れがあります。この休暇で、初めて一日で読み切った本だからです。
その満足感もさることながら、本の表紙を見るたびに、ビーチでの風景、泊まった家、最寄り駅からの夕暮れ、テイクアウトした食べた物、不愛想な売店のオジサンなど、当時の記憶が鮮明に甦ります。出会った人は特に印象的でした。出会った、出会うことができた人のなかに、日本で知り合ったオージーの女性がいます。
読書休暇の一人旅には、もう一つ目的がありました。それは、その彼女をサプライズで訪ねることです。
旅の終盤に私は、自分が泊まっていた宿の近くの電話ボックスから、その彼女に電話をかけました。スマホがない時代です。電話番号がかかれたメールを日本でプリントアウトし、それを片手にシドニーの電話ボックスへ。自分の名前を電話口で伝えると、受話器から彼女の喜ぶ声が聞こえてきて。その数日後、私が向かったのは彼女が住むゴールドコーストです。
空港で再会したとき、旅の目的を聞かれて私は「あなたのためにここに来た」とか言って笑。いろいろな場所を案内してもらうという数日を過ごしました。そして、あっという間に、私がシドニーへ戻る日が来ます。
その日の朝。彼女と、その友人が車で私を空港まで送ってくれることに。私は後部座席に座ります。助手席に彼女が座り、彼女の友人の運転です。ハイウェイを走って、空港が見えてくると渋滞になり、車のスピードがゆっくりになります。そのタイミングで、急に聞こえてきたのが音楽でした。車のラジオから、米国のオルタナバンドであるGoo Goo Dolls の『Iris』という曲が聴こえてきました。
メグ・ライアン、ニコラス・ケイジ主演の映画『シティ・オブ・エンジェル』の主題歌です。ボーカルのジョン・レズニックのハスキーな声が、この歌のメロディーをさらに切なく感じさせます。悲しげなイントロのあと、次のような歌詞で始まります。和訳すると、こうです。
君に触れられるなら 永遠などもういらない
どういうわけか 君が僕を感じてくれているからさ
僕が戻るだろう天国に 一番近いのが君だから
今はまだ 帰ってしまいたくないんだ
渋滞を抜けて車が空港に着いたとき、停まった車の後部座席から、私は片言の英語で別れを告げました。車を降りると、その勢いのまま振り返ることなく私は歩きます。
「ちょと、待って」
立ち止まり、声のほうを振り返ると、小走りの彼女が笑顔で近づいてきて、そのスピードがゆっくりになったかと思うと、彼女は私にキスをし、車へ戻って行きました。彼女を乗せた車は私からどんどん離れていき、あっという間に見えなくなって。そこから自分が、どうやってシドニーに戻ったのか、まったく覚えていません。
数日後に帰国した私は日常生活に戻りました。その日常から、オーストラリアで過ごした時間を振り返ると、それは私にとって『葉桜の季節に君を想うということ』なのでした。本の内容とはまったく違うのですけれど――。