小説家Mの「ある小説」について。
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Mの書く小説は「喪失」と「救済」を含んでいる。
「喪失」は色濃く描かれ、「救済」はさまざまな場面にちりばめられ内包される。「喪失」と「救済」を繰り返し描くことで、小説をメタファーに、読者は自分の内面にあるとても繊細な機微を感じ、言葉と感情が織り交ざり、小説が身体に沁みていく。
Mはある著作で小説について「大事なのは、わかったとかわからないとかじゃなくて、それが身体に沁みるかどうか」と語る。
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「ある小説」も同じだ。
とても身体に沁みる小説。
しかし、ずっと違和感を感じ、ひっかかっていることがある。
とても大切なところにおいて「喪失」だけが描かれ「救済」を感じることができない。
描かれるはずの「救済」が見つからないのだ。
これでは救いがないではないか。
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これまでのように、これからも私は「ある小説」を何度も何度も読み返すだろう。
とても大切なところに「救済」をもとめて。
そして、また「喪失」だけを感じ、頭をかかえるだろう。
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でも信じている。
「完璧な絶望が存在しないようにね。」と語った作家の言葉を。