胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇「店主」

店主は『お店』を『人』にする

りぶすてーき

飲食店で、常連客が店主さんと楽しく喋る光景は、多くの人に心当たりがあるだろう。

小学生の頃から、アニメ「おでんくん」のおでん屋台や、
「クレヨンしんちゃん」の焼き鳥屋の雰囲気に子供ながら憧れを持っていた。
ああいう光景。(知らない人はスミマセン)

私の実体験で言うと、通っていた大学近くのラーメン屋やお好み焼き屋がそうだった。
「店主さんがいい人」と評判で、味だけでなくそれを楽しみに人が訪れる。
単に金と料理の交換所に留まらない。
人と人が交わる現象には、言葉にするには勿体無い暖かみが伴う。

この「金と料理の交換所に留まらない」という点が、
タイトルにした「店主は『お店』を『人』にする」ということである。

お店がひとりの人間として、友達として、自分を出迎えてくれるような感覚。
この感覚の何より魅力な点は、代わりが効かないことだと思う。

何円だから好き、駅近だから好き、○○無料サービスがあるから好き、
みたいな条件による比較の結果の「1位」では無い。
まるで人と仲良くなる時のように、「なんか好き」と思わせてくれる。

そして、ここ胡桃堂喫茶店にも『人』としての魅力を強く感じる。

私は哲学カフェ「胡桃堂の朝モヤ」によく参加しているが、他の参加者には
「(店主の)影山さんにお会いしたくて参りました」
という方もよく見られる。
皐月のテーマ「店主」を見た時に、この記憶が真っ先に頭に浮かんだ。

店主とは、文字通りお店の「顔」であり、
その存在は『お店』との関わりを『人』との関わりに変えてくれるものである、
という風に思う。

『人』だとすれば当然相性もある。
なんか無理、興味沸かない、という場合もあるだろう。
しかし、それも『お店』では味わえないような奥深い刺激だと思う。
それがいつかどこかで芽を出して、自分の新たな視野になるかもしれない。

 

長くなってしまい申し訳無いが、このテーマについてもう1つ感じたことがある。

それは、
「逆に『人』を『お店』のように見てしまう」
ということだ。

最近耳にしがちな
「人を生産性で判断するのはどうなのか」
といった話に通ずるかもしれない。

その人から聞ける話にどんな利益があるか、
この仕事をしてる人と仲良くなっておくと何が便利か、
また自分は相手に何を提供できれば、嫌われずに付き合ってもらえるか。

そんなことをつい気にしてしまう瞬間がある。
他人の価値観を聞いていて、そういうニュアンスを感じるとモヤモヤしてしまうこともある。

勿論『お店』には『お店』の良さも沢山あるけれど、
『人』としての魅力の存在を、忘れずに暮らしていけたらなと思う。

りぶすてーき

ピアノが好きな、駆け出し社会人です。
言葉にならない考え事で頭の中がいつもパンクしそうになっています。
Twitter : @revarb1738