ぼくにとって、ちょっと特別なケーキがある。
その名は、マドレーヌ。
自分の小さい頃、ケーキといえば、まだショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキくらいのもので(少なくともこども目線では)、ガトーショコラとかパウンドケーキとか、ましてやティラミスとかスフォリアテッレとか、そんなしゃれた名前は聞いたこともない時代。母が時折、作ってくれたのがマドレーヌだった。
ぼくは4人兄弟で、全員男。その時点で十分大変だったろうに、母は生涯仕事をやめることがなかった。勤務地はずっと家庭裁判所で、最初は調査官。次は調停委員。仕事に家事に日々を送るだけで十分大変だっただろうけれど、それでもぼくらの誕生日や何かの記念日となると、マドレーヌをよく焼いてくれた。
小麦粉や砂糖をふるいでふるう工程があって、それはぼくも結構手伝った。粉が飛び散ってもいいように、ふるいの下にはいつも、買い物をしたあと大事にとってあった高島屋の包み紙を敷いていた。
焼くときは、生地と丸い型のあいだに紙を敷く。そこにはよく分からないアルファベットか何かが書いてあって、焼きあがったマドレーヌがその型紙に包まれている感じがお店で買う本格的なもののように思えてうれしかった。当時はそんなこと想像することはなかったけど、材料と一緒に母はその型紙も買っていたのだ。どんなお店で買っていたんだろう。それを買うときは、どんな気持ちだったんだろう。
食べる数はいつも決まってた。兄弟で分け合うし、友達に配ったりもしてたから、2つとか3つとか。型紙についた生地まで、べろべろなめて食べた。
そんな母も昨年、亡くなった。
父の享年を1歳だけ上回って、86歳。
あのマドレーヌはもう食べられないけれど、いつでも目の前にあるような気もしてる。
いつかぼくも作ってみようと思う。やさしい味のマドレーヌ。
そのときは、型紙を買うのも忘れないようにしなきゃ。