胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇[令和五年]好きな小説

ホリーガーデン/江國香織

庭野七夢

江國香織の「ホリーガーデン」はわたしが好きな小説を聞かれたら最初に答える一冊である。

あとがきにはこう書いてある。
「余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説が書きたかった。余分な時間ほど美しい時間はないと思っています」
読み終わって、好きだと思った作品で、自分が好きな作者が「これは余分で無駄でいっぱいの物語で、それが美しい」と言っていることがなんだかとても嬉しかったことを覚えている。

江國香織は他のエッセイで「物語ですから、何の役にも立ちません」と言っている。これはたしか結婚生活についてのエッセイで、それなのに自分で物語と言うのが彼女らしいと思った。

この本は大きな展開もなく、2人の女性と、その周りの小さな世界が淡々と進んでいく様子が描かれている。
最初に書いたように、これは余分なもので満たされた小説である。書いても書かなくても展開には関係ない描写がたくさんある。しかし、そもそも人が生きる大半の時間は言葉にする価値もないような、わざわざ言葉にしないようなシーンで溢れている。
事実は小説よりも奇なりとは言っても、それは常ではない。生きることはそういう「奇」とは呼べない小さな色々で構成されていて、その繰り返し、積み重ねが人生であり、それこそが美しいのではないだろうか。この本に出会ったおかげで、そう思えるようになった。

丁寧に描写されるなんでもない二人の日々の生活。容易に頭の中に絵が浮かぶのは彼女の観察眼と筆力によるものだろう。まるで本当に登場人物がいまもどこかで生きているのではないかと錯覚させられる。

「余分な時間は美しい」
なんて素敵な言葉なんだろうか。価値が相対化されていき、比べられ、競争に勝つことなんてくだらなく思えてくる。ただ生活の瞬間の言葉にしないような、できないような時間がもう充分美しいのに。
余暇。余っている時間。空白の時間。なにも目指さない時間。ただ音楽を聴き呼吸を繰り返す。どこにも向かわない時間。それを美しいと思えると、少し楽になる。

なんの役にも立たない物語が、余分な時間が詰まった物語が、自分の一番好きな小説であることが、何故だか少し誇らしい。

庭野七夢(にわの・ななむ)

スタッフ。コーヒーと甘いものと猫が大好き。本当は猫になりたいけどなれないので喫茶店で働いています。低気圧に弱い。

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