胡桃堂喫茶店

特集・弥生篇[令和五年]喫茶店と花

喫茶「店と花」

魂という名の野生動物

だれもいないテーブルに わたしが すわる
いすは ふたつ
ひとつは わたし
ひとつは ななし

だれもいないテーブルに ガラスのかびんが ひとつ
からっぽの かびんは アール・デコ

「みずをいれますか」

とわれ みあげると そこに あなたがいた

「おねがいします」

あなたは もっていたピッチャーから みずを からっぽのかびんへ
わたしは もっていた いっぽんのひまわりを みずがはいったかびんへ

だれもいないテーブルが あなたとわたしに
いすは ふたつ
ひとつは わたし
ひとつは あなた
ぬいだコートを せもたれに かけた
そのひだりてに ゆびわが ひかる

ひまわりのかずは にほん さんぼん よんほんへ
はざくらが ちって かびんのひまわりが 
ごほんになろうとしたとき  
だれもいない しょくたくに わたしが すわる

いすは よっつ
ひとつは わたし
のこりは ななし

だれもいない しょくたくに ガラスのかびんが ひとつ
からっぽの かびんは アール・デコ

「ハンコ、もってきた」

こえのほうを みあげると いつも あなたがいた

「おねがいします」

わたしは もっていた かみきれを からっぽのかびんへ
あなたは もってきた ハンコを そのかみきれへ
そのひだりてに ゆびわの あと

だれもいない しょくたくが わたしとあなたに
いすは よっつ
ひとつは わたし
ひとつは あなた
のこりは ななし

「またせて、すいませんでした」

あなたは いすをひき ゆかに ひざをついた

 

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魂という名の野生動物

国が変わり、時代が移っても、なぜか同じ声がする。声は水を注ぐ仕草になり、花を活ける手になり、甘いものを分け合ったり奪い合ったりする。相手と初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っているような瞬間がある。街の喫茶店、空港、異国の大聖堂、港町の酒場、上空の機内、下町の屋敷、高台の牧場、都会の蕎麦屋、等々。それぞれの声は交わらないまま、しかし響き合い、やがて別の場所を立ち上げます。そこにいるのは、似た選択で同じような後悔を抱き、迷い、胸を熱くする、名も立場も違う人々です。その記憶をここで静かに追いかけます。

 

これは、時間を超えて繰り返される、いくつかのいのちの物語です。


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