胡桃堂喫茶店

特集・卯月篇[令和五年]YOUは何しに喫茶店へ?

記憶を照らし未来を照らす

山口吉郎

引越しの日は近いが、まだ本棚の位置すら決められていない。

一戸建てを購入したばかりで居室に家具はなく、もちろん照明器具もない。

太陽の光が部屋に差し込むうちに、出来るだけ多くの場所を計測しなければならない。

コンセントはドア枠から何cmか。窓枠は床から何cmか。プリントアウトした間取り図に数字を書き込んでいく。

日が暮れて暗くなったので計測をやめ、施錠をして駅に歩いて向かう。あたりの住宅に明かりが灯りはじめる。少し早めに歩いてもこの街を身体で感じることができる良い時間だ。

西国分寺駅に着く。

練馬に帰ろうと思う。が、もう少しこの街にいたい。気持ちがたかぶっている。

クルミドコーヒーに行こう。

久しぶりのクルミドコーヒー。一番上の階の席に座り、いくつもの数字を走り書きした間取り図をカバンから出す。記憶が新しいうちに「本棚はこの辺りが良いと思う」など現地で感じたことを書き足す。

店内を眺めながら国分寺での新しい暮らしを想う。

そして、早く国分寺に身体を馴染ませたいと、なぜか少し急かされた気持ちになる。

国分寺に住んだらできるだけ歩こう。今日のように街を感じるのだ。

クルミドコーヒーを出る時には辺りは一段と暗くなり、雨が降りはじめていた。

急な雨を眺めながら、店員さんと少し話しをする。

「傘はお持ちですか?」

思いがけず、彼の私物であろう傘を手渡され、この街のあたたかさに触れた気がした。

駅に向かって早足で歩く途中、振り返って、もう一度クルミドコーヒーを見る。

国分寺に住み、年月を重ねた今も、まるく輝く看板は強く印象に残り、記憶を照らし続けている。

山口吉郎

国分寺に暮らし、本のデザインに取り組む日々。芸術を考えるとき、アルベルト・ジャコメッティを想う。

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