胡桃堂喫茶店

特集・卯月篇[令和五年]YOUは何しに喫茶店へ?

Catharsis

古川さと

3年前の4月、50の誕生日。
カフェインを受けつけなくなった。
たった1杯で、呼吸困難を起こす。
身体の自由がきかない。
原因不明の痛みが常在する。
医者は検査結果に首を傾げる。

19から慣れ親しんだ珈琲
小さな当たり前が、こぼれた。
ひたひたと不穏が世界に満ち、
日常は静かに澱んでいく。

イママデドオリニハモウイカナイ

2年後、そろりと回復し出した頃
家族が倒れた。
仄かに死が漂う日々。
良かれと思った事が全て裏目に。
打つ手なし。されど、投了出来ない。
医療への不信、怒り。恐怖。
そこから生じる執拗な拘りが、
じわりじわりと自他を侵食する。

闇に沈む家族の手を握り、
眠れぬ頭でぼんやり思う。

コーヒーガ、ノミタイ。
心のこもったものを。

 

年の暮れ。
足は、西国に向いた。
5年ぶりのクルミドコーヒー。
ケーキを食べ、
思い切ってカップを手に、一口。

大丈夫そうだ。
くるみ割り人形と目が合い
ほっとした瞬間、

『幸せだったんだ、10年前は。』

独白に思いがけず、
突沸した。
嗚咽が止まらない。

 

イママデドオリニハモウイカナイ

イママデドオリニハモドレナイ

今まで通りには、もう。

 

隣席の学生さんが戸惑う気配。
そりゃそうだ。迸る激情。
勘弁。堪忍。

鼻を擤む。
涙を拭う。
波は去った。
落ち着きを確認して、
おかわりを注文する。

澱が流れ去った身体に
デカフェが染み込む。

そうだ
私はずっと、泣きたかったのだ。
同情も憐憫もなく、
ただただ。ひたすらに。

深呼吸をする。
日差しが明るい。

 

窓辺の彼が、黙って拳を差し伸べる。

 

古川さと

鳥派。
小鳥に好かれたい。
積読多々有。
歩き過ぎて、叱られる。
方向音痴。

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