「あそこに行こう」って考えたとき、それがすでに何度か行ったことがある場所だったら、行く前からそこにいる自分を想像したりします。
今日は晴れてるから窓際の席が気分がいいなあ、ゆがんだガラス越しに見えるぼんやりした外の様子をなんとなく窺いながら、書き物などするのだ。
そんなことを考えながら、国分寺の駅からゆるやかな下り坂の歩道を歩いて胡桃堂喫茶店に行くのです。
店の前に立って、扉を開けるときに、必ず思います。 あ、胡桃堂のドアノブだ。
胡桃堂喫茶店のドアノブは、握って回すのでも、押し下げるのでもなく、つかんで手前に引く小さな取っ手が付いているだけ。店内の重厚な棚やテーブルとはアンバランスな頼りなさ。
だけど、この取っ手を握るたびに、ああ、胡桃堂に来た、と感じるのです。
頼りない取っ手を引いて、これもあんまり頼りがいがありそうにない軽い扉を開ける、この力具合だ。若干きしむ音がする、この風情だ。
この短い一連の動作が、来る前の想像を洗い流してしまう。これを僕は「胡桃堂リセット」と呼んでる。ウソです今作りました。
でも想像が流されるのはホント。そうして店内に入ると、今度はもう取っ手のことは忘れてしまう。胡桃堂の時間が体に沁みこんでくるのだ。
それで、次に訪れて取っ手をつかんだときにまた、ああ、胡桃堂に来た、と思う。