ぼくらにとって最初のお店、クルミドコーヒーはJR西国分寺駅からほど近くにある。
「クルミドコーヒーに来た」と感じるときとは、その西国分寺駅で降りて、改札を出たとき、だったらいいなと思う。
それになぞらえるのは僭越至極だが、「神社に行く」プロセスは、鳥居を目の前にしたときから始まっている。それをくぐり、参道を歩き、手水舎等を経て本殿へと向かうその道すがらそのものが、「神社に行く」行為をなしている。
クルミドコーヒーや胡桃堂喫茶店に行くという体験が、少しでもそれに近いものになったらいいなと思っている。
西国分寺駅の改札を出ると、すぐ目の前に八百屋がある。その日の朝に、近くの畑で採れた鮮度抜群の野菜を扱う「にしこくマルシェ」だ。その季節によって変わる色とりどりの店頭や、活気あるスタッフのかけ声から西国分寺というカフェの体験は始まる。
南へと向かい、駅直結のスーパーのアーケードをくぐるとロータリーに出る。ここではロータリーを囲んで、オープンカフェがにぎわいを醸し出しているといい。おしゃべりする人、これ見よがしに新聞(スポーツ新聞を除く)を読む人が、まちの風景をなす。
右を向くとクルミドコーヒーの看板が見える。……正確に言うと、季節によってはエノキやコナラの木が入口を囲んで生い茂っているため、看板は一部しか見えない。が、それがクルミドコーヒーだとは分かる。足下に目をやると、そこへと向かう道はアスファルトではなくインターロッキングが敷き詰められている。そして本当はこの道は、自動車進入禁止にしたい。話はそれるが、いつから日本の道は、自動車たちによって牛耳られる、歩行者はびくびくしながら歩かなければいけなくなったのだろう。まちは、自動車によってではなく、歩く人によってこそつくられていくものなのに。
クルミドコーヒーの前にたどり着く。木の扉がある。そんなに大きなお店には見えない。扉を開けてみる。天井が高い。4.5メートルくらいある。外から見たときの印象と違って、垂直方向に空間を感じるお店だ。まるで大木の根元のうろのように……。
実際にはまだまだだ。
そして胡桃堂喫茶店の立地する、おとなり国分寺駅となるとなおのこと難しい。1日あたりの乗降客数にして、西国分寺駅の4倍。ここはそれなりに立派な都会なのだ。
それでもあきらめずにいこうと思う。
「『胡桃堂に来た』と感じるときはいつですか?」
「国分寺駅を降りて、改札を出たとき」です。