胡桃堂喫茶店

特集・霜月篇[令和四年]

A面|偶然立ち寄った喫茶店で

ケチャップ大宮

東中野での予定が思ったよりも早く終わり
国分寺には少し早く着いてしまいました。
時間を埋めるように立ち寄ったのが、こちらの胡桃堂喫茶店です。

片付けてからご案内します、ということで
入口に並ぶ棚を眺めていたところ
すぐ目の前で本棚に手を伸ばした男性の
引き出したその本は、私の祖父の唯一の著書でした。

目を、奪われました。
写真で何度も見たその装丁は
和紙を使っていることもあり淡いオレンジ一色でも表情は豊かに見え
一目で確信しました。

『鉄に舂く』(うすづく)というその本は
祖父が上海海軍特別陸戦隊に所属していた当時の日々を克明に綴ったものです。
祖父が亡くなる数年前、たばこの不始末による小火で本棚ごと焼失してしまい
三回忌で親族が集まった際にようやく、あの本を手元に戻そう、という話が出ました。
しかし、絶版で部数もさほどなかったであろう本書を
見つけることはついに叶いませんでした。

私は内心ドキドキしたまま席に案内され、珈琲を注文。
男性はまだ席でその本を読んでいました。

どうやら、しっかりと読んでいるご様子で
珈琲をすすりながら目を落としたまま、動かず。
それは何かのご縁で嬉しいことですが
次の予定が迫ってきます。
デザイナーの先生のお宅に伺うのに遅れることはできません。

ついに意を決し、声をかけました。

「あの、すみません、そちらの本はお買い求めになりますか‥?」

男性は目をまるくして私を見つめ返す。

『あ‥、はい、いえ、読んでるだけです』

事情をご説明するや否や
すぐに私に手渡してくれました。
お礼を告げ、お会計を済ませ外に出るとちょうど空は夕焼けに染まりだした頃。

長い時間をかけて流れ着いた手紙が
バッグの中で、陽を受け輝いているようでした。
この出会いに
大変感謝しております。

 

________
このお話にはフィクションが含まれています

B面はこちら

ケチャップ大宮(ケチャップおおみや)

埼玉県さいたま市出身。好物はふわとろオムライス。