「みせ、じゃなくて、てん、です。ここのカフェは『みせとはな』って名前ですけど、この短歌は『てんとはな』って読むらしくて。先輩、あたしがチャットに送った資料を見てませんね」
先輩、と呼ばれた男はテーブルに頬杖をついた。
「今日の取材、わかってますか」
男は、視線を宙に浮かべ、少しして何かを思いついた顔をした。
「猫カフェ&最狂パフェの取材じゃありません。どこに猫がいるんですか」
男が眺めているメニューが、取り上げられた。テーブルの上の、水が入ったグラスのなかで、氷がカランと音をたてる。
「日海無暗、最後の短歌。その真相に迫る、ですよ」
男の目の前にケーキが運ばれて来た。桃とマンゴーがギッシリのっている。
「うんうん、じゃなくて。興味ないんですか? 北大路魯山人の愛弟子だった、日海無暗の遺作かもしれないんですよ、コレ。噂が本当なら、特ダネです。それを来年、入社する新卒のかわいい後輩が、譲ろうとしてるのに。日海のプロフィールくらいは見ましたよね」
質問には答えず、男はケーキの感想を伝えた。
「美味しいのは知っています。言い訳を聞きたくありません。特別にOKもらってるんです。取材になったら、ちゃんと質問してくださいね」
男は上目遣いで、フォークをケーキ皿の上に置いた。桃とマンゴーで、男の唇は艶々している。
「日海はですね、売れていない若い頃に、飲み食いした代金を詩や短歌を詠むことで、払っていたことがありました。東京だけじゃなく、浜松や鎌倉でも似たようなことをしていたのは有名な話です。ただし、その多くは、うなぎ屋で、かつ、彼が無名の頃でした。うなぎ屋以外で、かつ、歌人として名の知れた晩年に、短歌で飲食代を支払おうなんて、破天荒で知られた日海にあっても、これまで表に出てこなかった話です。あたしだって知らなかったんだから」
カップルらしき2人が店に入ってきた。ウェイトレスが記帳を勧めている。その隣のレジでは、3人組の女が会計を待っているようだ。
「それは、ナイショにしておいてください。友達にも話したことないし。母方の祖父が日海無暗だってことは、あんまり知られたくないんです」
記帳を済ませた男の袖を女が掴んだ。ねえねえ、アレじゃない。どこどこ。女は肘を畳んだまま、控えめに店の奥を指差す。カップルは店の奥をうかがう。レジで会計をしている3人組が邪魔そうだが、カップルの視線の先には壁があり、アール・デコ調の額縁に収まった短歌が飾られていた。
「この短歌の前で記念撮影して、ネットに公開しちゃったアルバイトがいたんです。このカフェは店内写真NGなのに。ネットの写真は削除されましたが「日海の遺作では」「筆跡が本人に酷似」とかで、ちょっとした話題なんです。そりゃ、遺作となれば値打ちものです。いや、だから、それがわからないから、改めて取材ということで、今日は来たんじゃないすか。額縁のフレーム部分に、隠れたサインは、あるのか。裏面はどうか。あるなら直筆か。壁から降ろした後で、額を外して確かめる必要があります。え、あたしも頼んでいいんですか、ラッキー。どれにしようかな」
水を入れますか?
背後からの声で、ケーキを食べていた男の手が、マンゴーにフォークを刺したまま止まった。止まったまま声のほうへ振り返ると、後ろのテーブルに、ピッチャーを持った、ロマンスグレーの髪をした男が立っている。ロマンスグレーが、後ろのテーブルにある花瓶に、持っているピッチャーの水を注ぐ。すると、そのテーブルに座っていたキャリアウーマン風の女は、水が注がれた花瓶に一本のひまわりを挿した。花瓶の隣りには、パフェもある。
「先輩、桃が好きなんですね。あれは、山梨の『夢みずき』という品種を使っていて、今月で終わっちゃいます。メニューだと、コレ。人気ですよ」
そこには『桃源郷』とあった。
「頼みます? 先輩、そこ、クリーム」
男は、テーブルの紙ナプキンで口元を拭き、ウェイトレスを呼んで注文した。
「あたしは、チーズケーキで」
注文を伝票に書き込んだウェイトレスが厨房へ戻ろうとするが「あっ」と、呼び止められる。
「やっぱり追加で、ロイヤルミルクティーもお願いします」
TGK、チーズ。そう書かれた伝票に、RMTが書き加えられた。
「話しを戻しますね。「シフトの休憩時間に少しなら」ってことで、特別に時間をもらったんです。それはですね、あたしが、このカフェでバイトリーダーをしていたからですよ。いえ、先輩も必要です。いつものカメラで写真をお願いしたいので。あと支払いも、よろしくお願いします。初任給が出たら必ず、何か奢りますから。ああ、来ました。あの人が店主です」