胡桃堂喫茶店

特集・神無月篇[令和五年]

ポル・ウナ・カベッサ

魂という名の野生動物

彼女の手をとった私に届くのは
バイオリン、チェロ、バンドネオン、ピアノ、コントラバス

ほかの客の話し声は次第に止み
小さくなって
店のフロア中央に集まる

誰かのカップがソーサーに触れたとき
私は彼女の左手を
自分の右肩に置く

バイオリン、チェロ、バンドネオン、ピアノ、コントラバス
それらが、それぞれの楽器としてではなく
今夜の景色として私に迫ってきたら
店の奥に座る年老いた夫婦をひきつけることも
できるだろう

ところどころ割れた床板は
パレットの廃材をつなぎ合わせたような
年季の入った色をしていて
重心をかければ
ぎいぎいと鳴る
なのに今夜は聞こえてこない
それは男女の滑らかな荷重移動が
床板を黙らせるからだ

拍手と音楽で体がいっぱいになり
それらが鳴り止んだとき
私の耳に届くのは
自分の汗が床板に落ちる音

魂という名の野生動物

「ない」「足りない」という世界観だった私に、影山知明さんは「すでにある」ことを教えてくれました。探していたものは、もうあった。そのときの体験を童話風にアレンジにしたのが[思い出のケーキ]という作品です。[喫茶「店と花」]という作品は、読み方次第でエンディングが異なります。別れの物語として読むと離婚届が、出会いの物語として読むと婚姻届が待っている物語です。これに[あかちゃんになる]を連作として読むという余白、遊びを残しました。[喫茶「店とまち」]の舞台はブエノスアイレスで、年代は1960年代前後です。短歌にはリアル店舗を忍ばせてあります。夜の『喫茶「店とまち」』から聞こえてくるのが[ポル・ウナ・カベッサ]です。