胡桃堂喫茶店

特集・弥生篇[令和七年]自分の時間を生きていると感じられるとき

自由な行動

ape

昨年、父が他界した。

亡くなる2週間前、闘病中の父の元へ宮崎に。

青空と、山々が展望できる大きな窓のある病室。

二回りくらい小さくなった体に、声にならない掠れた声で話しかけてくれた。

特に背中の痛みがひどいらしく、摩ってあげるとちょっと柔らかな表情に。

あたたかな背中。

 

 

父は、ぼくからみて自由に生きた人だった。

東京で生まれ、自動車工場に就職したけど、急に酪農をやりたいと思い立ち、

日本各地やヨーロッパで酪農を学び、京都でたまたま母と出会い、宮崎で小さな牧場を共同経営で始めた。

太平洋が一望できるその牧場で、姉とぼくが生まれた。

酪農という過酷で、難しい仕事。

さらに、共同経営という関係がなかなかうまくいかず、約4年で酪農をやめることに。

その後、喫茶店でバイトしたり、気まぐれに椎茸栽培したり。

心配した友人が紹介してくれた就職先も、上司に楯突きクビに。

もちろん、家計は火の車。

雨漏りだらけ、隙間風の家。

大きな台風が来ると、五右衛門風呂のトタンで囲まれた壁が吹き飛ばされたこともあった。

ただ、そんな状況がいやだったかというと、そうではなく、なんというか心地よかった。

食べ物がなくなると、漁師の友人が魚を持ってきて、農家の方がお裾分けしてくれた。

何より飲むことが好きだった。

毎晩、近所の人たちが飲みに、夜中までワイワイさわぐ日々。

薄い障子に仕切られた横の部屋で寝てたぼくは、その騒がしさの中でしか眠れない体になった。

おとなが集まり、ミニ四駆レースをして、ソフトボール大会したり、スーファミのストⅡで盛り上がって、最後は酒盛り。

とにかく、みんなと楽しいことをしてることが好きだった、父。

そして、そんな、おとなたちが無邪気に遊んでる姿を見ているのが好きだった。

 

 

父が亡くなり、乗っていた車を処分すると母から連絡が。

まだ乗れることもあり、せっかくなので引き取らせてもらうことに。

車を運転しているうちに、ぼくは運転が好きなことに気づいた。

移動中のひとりの時間。流れる景色の中、好きなラジオや音楽を聴きながら、ゆっくり自分の時間をもてること。

そして、家族との時間。ともに行動する範囲も広がり、不思議と家じゃできない会話も生まれてくる。

この車を東京に持ってくるとき、母が泣いてた理由が少しわかった気がした。

父とともに過ごした時間が、この車には詰まってるんだと。

ぼくはどんな思い出ができるんだろう。

フリード。父が選んだ、あなたらしい車。

ありがとう。

とにかく、楽しくいきますね。

ape

国分寺とともにいきたい