胡桃堂喫茶店

特集・弥生篇[令和七年]自分の時間を生きていると感じられるとき

しゅあかすみぐろ

とりがすきー川越

「、、いつきちゃん、お手本をよくみて書きましょうね。」

開け放った二間の庭側の和室に、先生を挟むように向かい合って小机が八脚ずつ。席が空くと来た順に座り、学年ごとのお手本が渡される。週に一回、一時間程のお稽古。
持ってきたバッグからお道具一式を取り出す。布の下敷き、紙、文鎮を置き、筆を並べ、墨を磨る。

ちょっとだけお水をたらし、そおーっとそおーっと、のの字のの字の繰り返し。って、もお!めんどくさいったら。ボトルに入った墨汁をつかっている人もいる。うらやましい。
早く書いて終わらせたいのにっ、、。

恨めしい顔で、隣の部屋を見やる。
順番待ちの子らは、漫画を読んだりヒソヒソ話をしている。

気を取り直して、墨をたっぷり筆に含ませる。えええいっ、やああっ!と勢いよく筆を動かす。小筆でちょちょちょと名前を書いて、「できましたっ!」ピッと挙手。

先生は静かに紙を受け取ると、筆を持って朱を入れる。とんっ、すーっ、とん、ぐっ、ぐーん、とんっ、すっ。
そして、
「、、いつきちゃん。お手本をよくみて書きましょうね。」

はああい。
返された紙を眺める。墨黒を、朱赤が覆う。

、、先生の字って、いつもお手本と少し形が違う気がすんのよね。どーして"これ"じゃだめなんだろ?
考えてもよくわからないので、とりあえず二枚目も勢いよく、、と思いきや、もう墨汁がない。ため息をついて磨り始める。
いそげ、いそげ。すりすり、じゃなくてもう、ごりごり。硯が圧で割れそうなくらい。ゴリゴリずりずり。

筆は嫌いじゃない。墨の香りも悪くない。(墨がワンピースに飛ぶのだけはほんとやめてほしいけど。)
、、でも、お手本通りに書くって、なんでこんなにつまんないんだろ?

✳︎

「はい、今日はお終いです。」

ありがとうございましたっ!
ほんの少しの丸と手直しだらけの紙を束ねて、急いで退席する。

さ、ここからが本番。

振り返ると、後から座った四つ上の姉は、真面目な顔でじっくり筆を動かしている。(おねえちゃんはどうやら字が上手らしい。習字のざっしに名前がのっていた。とくたい生って、なんのこっちゃ?)

席待ちの子らを掻き分けて、本棚から少年サンデーを鷲掴む。
『サイボーグ009極北の幽霊(ノース・ポールのゴースト)編』、ページをめくると、雑音が消えた。

 

突然、
「いっちゃん、帰るよ。」
目の前に姉が立っている。
残念。チャンピオンもプチフラワーもなかよしも、また来週。本棚に返して、靴を履く。
(うちはマンガダメだからなー。ドリフやプロレスはみるくせに。)

姉はつまんなそうに待っている。どうしていつもこんな顔してんだろ?

そうそう。
最初のお稽古の日。姉を待たずにさっさと帰ったら激怒された。顔を真っ赤にして、泣き喚きながら「お姉ちゃんがおこられるでしょ?なんで一人で帰っちゃうの?」って。
だって先におわったから。一人でかえれるし。と言ったら大炎上。
「お姉ちゃんの言うこと聞きなさいっ!」鬼みたいな顔。

なに言ってんだろこの人。多分そんな顔で見返してたんだろう、更に延々とお説教。イモートはトシシタなんだからオネーチャンのイウコトヲキクのがアタリマエだとかなんとか。面倒になった。しょうがないから一緒に帰る為、姉を待つことに。そしたら、漫画に出会えた。ラッキー!!

夕暮れの中、自転車を漕ぐ。
前を走る姉。見えないなにかがパンパンにつまってるみたい、頭からつま先まで。つっついたらはじけてしまいそう。
カンカンカンカンと、遮断機が降りる。黄色い電車がゆっくり駅からやってくる。横並びに止まる。

ふと、彼女の手を見る。先端がすこし黒ずんでいる。落としても落ちきらない墨が、短い指の先を染めている。
カンカンカンカン。まっすぐ前をみる姉の横顔が、音に合わせて赤く点滅する。

ゴォーゴォーゴォー、過ぎる電車。
「そういえば」
姉が急に口を開く。こっちは見ない。

「来週から硬筆の選手の練習が始まるから、いっちゃんも準備してくださいって。先生が。」

 

一瞬の静けさ。

急に、ギャーギャーとカラスがけたたましく叫ぶ。
びっくりして振り返ると、いつのまにかすぐ後ろはもう真っ暗。
ゾッとして前を見ると、ハンドルを握った私の手先も、少し黒くなっている。

血の気が引いていく。

遮断機が上がる。姉は進む。振り向くことなく。

 

ハッとして、慌てて指先をこすった。
強く、強く、必死で。
何かよからぬものを、祓うかのように。

その時。
右の空から、閃光が走った。
夕焼けの、最後の輝き。
墨黒の空を、朱赤が切り裂く。
一瞬の出来事。

口がぽかんと開く。
なんてきれい、、。

 

 

ふいに笑いが込み上げる。
ふふふ ふふふふふふ

 

ハンドルを握り、ペダルを踏む。
笑いながらぐんぐん漕いでいく。

 

 

姉の姿が見える。暗がりの中、こちらに体を捻って止まっている。

私は更に、スピードを上げた。

とりがすきー川越

都内で生まれ、3歳から川越。
ほぼほぼ川越人。
でも愛しているのは、ぞうきりん。