朝起きると、目の前に緑色がある。世話をしている植物がいつものように葉を広げている。冬には眠っているように成長が止まるけれど、暖かくなるにつれてぐんぐんと育つ。思いもよらないところから芽が出てきたりする。
15個の植物それぞれ、必要な水の量が違う。日当たりを好む植物もいれば、日陰のほうが生き生きとしている植物もいる。日々、元気になったり弱ったりする植物を眺めては、移動したり剪定したり。
でも、気持ちが沈んでいると、それができなくなる。
そうしてしおれた心は、植物の葉もしおれさせていく。
大人になればこそ、弱った心をそっと脇に置いておける。何でもないように、やっていく。笑うことだって簡単だ。
それなのに植物は、わたしのありようをそのまま見せてくる。
いつの間にか土が乾いている。葉が黄色い。光が足りていない。
けれど同時に、植物からのこうしたメッセージは、わたしがふたたび元気になれるシグナルにもなっていた。
鉢に注いだ水は、わたしの何かを満たしていく。色褪せた葉を取り除いては、晴れやかな気持ちになった。日差しを浴びた青葉につられて笑った。
弱ったり元気になったりするわたしは、元気になったり弱ったりする植物と、息がぴったりみたいだ。
果たしてどっちが世話をしている側なのだろう。それはわたしにもわからない。
ただ、植物が新芽を伸ばす春を、わたしはとても気に入っている。