よく晴れた昼下がり、公園のふたつ池にはめずらしく人だかりができていた。
普段は誰もいない、ひっそりした場所なのに。
遠目で見てもわかる。みんな何かひとつのものをレンズ越しに覗いていた。
カメラの視線の先はひとつ
水辺にかかる小枝に佇むカワセミだった。
カワセミが綺麗なことは知っているつもりだったけど
こんなに近くで見るのは初めてだった。
その日の夜、「忘れたくない日になった」と日記に残した。
そういえば、その前にカワセミを見たのって一体いつだったかしら。たしか4、5年ほど前、
それもまた別の公園の水辺だった。
ふたつ池で見た時よりも、遠目に見たように記憶に残っているけれど
ちいさな蒼色を必死に目で追った。
父との数少ない共通の趣味、自然の生きものを愛でること。
一緒に楽しんだことは、小さなことなのになんだか一生の思い出として刻まれている気がする。
カワセミ、カワセミ。
もうひとつ思い出したカワセミの思い出がある。
多摩湖を歩いていた時のこと、その日は貯水池がきらめくように見えた日だった。
前の週に新潟の祖母に会いに行き、もう使っていない指輪を彼女の引き出しの中で見つけて
それを初めて着けて出かけた日だった。
きらめく貯水池の青緑と
わたしの指に光る青緑。
古くて新しいお気に入りは翡翠でできた指輪だった。
その青緑を見つめ、同じ漢字で名前を書く、「清流の宝石」カワセミを思い出す。
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ひとつ目の公園は、結婚、引っ越しをして暮らしの圏内に入ったところ。
ふたつ目の公園と多摩湖は、子どもの頃を両親、兄とたくさん過ごしたところ。
カワセミがつないでくれる記憶とその場所は全て、わたしがわたしとして生きるのに
どれも必要な人と必要な場所である。
これからも、きっとつないでくれると信じている。
むすこを授かれたことに気がついたのは
この指輪を着けて多摩湖に出かけたほんの数日後のできごとだったから。
わたしにとっての幸せの青い鳥、カワセミ。
カワセミのいるところには必ず、きれいな水が流れている。