胡桃堂喫茶店

特集・霜月篇[令和五年]喫茶店での出会い

胡桃堂では子どもたちと出会うこともある

友倉詠人

胡桃堂喫茶店の一階の席で珈琲を飲んでいると、「黙って」と言う女性の声が聞こえてきました。会計にやって来たお母さんが、途切れなく喋り続ける就学前の男の子ら二人に発した言葉です。親子が去った後、なんだか不思議な爽やかさを感じていました。喋らなきゃいけないことと喋る必要のないこととの区別が子どもには、ない。必要と不要を選別するコードを子どもは持っていない。だから、言葉は野放図に子どもの脳内で発生する声の中継になる。そのことのある種の爽快さを思いました。私たちはいつから意味のあることしか口にしなくなったのか。そのことが窮屈だと、ときに感じるのは素敵なことだ、と。

胡桃堂喫茶店の一階の席で珈琲を飲んでいると、午後のある時間帯に同じ制服を着た大量の子どもたちが店の前を通っていきます。幼稚園の児童から始まって時間帯が進むにつれて中学生、高校生と学年が上がっていく。彼らをぼんやり見ていて気づいたのは、年齢がどんどん進むにもかかわらず、そこには同じ表情が浮かんでいることです。これはなんだろう?その表情を名づけるとしたら……?あるとき、思い浮かんだのが身も蓋もない言葉だったのには、自分でも拍子抜けしましたね。「解放感」。解き放たれた気持ち。こんな当たり前の言葉が、しかし浮かばなかった。なぜなんだろう?

我が身を振り返って思い当たりました。この感覚を、久しく味わったことがないからです。いつ以来だろう?来し方を辿っていたら思いだしました。30年勤めた職場をリタイアした12年前、それなりにストレスフルだった最後の6年間から逃げ出すように退職願いを出した日、ふらふらと六本木ヒルズに行って、展望デッキに上りました。そこから見る東京の広さがどんな風に見えるのか?確かめたくて仕方がなかったんですね。離職して得たお気楽な人生を、今の私は生きている。でもあの大空は今の自分にはないんだな、と思います。子どもたちの笑顔を今日も眺めながら、胡桃堂喫茶店の一階の席で珈琲を飲んでいます。

友倉詠人

瘋癲前期高齢者。うつらうつら映画批評なども書いています。趣味は料理。好きなものは、伸び。