19年くらい前の話です。
一人でオーストラリアのシドニーへ行ったんですが、その喫茶店での出会いです。でも喫茶店といってもテイクアウト専門店のように、店内に飲食スペースがなく、ショーケースがあるだけ。あとは店の外、歩道に椅子とテーブルが置かれただけの店でした。
その店は、私が泊まっていたB&Bの向かいにありました。B&Bとは英単語の「Bed & Breakfast」の頭文字をとった略です。宿泊(Bed)と朝食(Breakfast)をセットにした、簡易的な宿を指します。これを現地に住むオーストラリア人が、自宅の一部を改装して、旅行者などに貸し出していたのがB&Bです。そこに、朝食を抜きにしたプランで泊まることで、私は旅費を浮かせたのでした。
そんなことで毎朝、宿を出るときに私はここに寄っていたのです。今から思うと、自炊すれば、もっと出費を抑えることができたなあとか。あのときに私が注文したのは、カフェラテとホットドックです。
当時たしか、現地でカフェラテを頼むと、中身は、コーヒーと牛乳が半分半分だったように記憶しています。それが目新しく、なんだかカッコイイ感じがして。でも買うときは、いつも緊張しました。店内レジカウンターの女が、いつ行っても機嫌が悪かったからです。見た感じ、白人で細身。髪は短いドレッドヘアーで、化粧が濃く、爪が長い。あのときは20代に見えたけど、もしかしたら10代だったのかもしれません。
一週間、通ってわかったのは、毎回カウンターに肘をついて、レジの女と話をしている、白い色のつなぎを着た、ひげもじゃの大男が、その店のオーナーであるということ。それを見ていた私は、こう思いました。毎日のようにオーナーに言い寄られて、うっとうしいんだろうな。だから女は機嫌が悪いのだろうな。だったら辞めればいいのに。
コーヒーが美味しいからと、この店を私に勧めたのは、私が泊まるB&Bのホストでした。でも当時の私は、コーヒーが苦手だったので、代わりにラテをオーダーしていました。実際に宿のホストは毎朝、店の外に並べられた椅子に座り、本を読みながら、コーヒーを飲んでいました。その様は、なんというか陽気で気さくなオーストラリア人、そのもので。彼女のふくよかな体型には安心感がありました。空港で私を出迎えてくれた彼女を見て、なぜかはわかりませんが私は、ホッとしたことも覚えています。
B&Bに滞在して8日目の昼過ぎ。
いつもと違うランチの時間帯に私が店へ向かうと、店の入り口でオーナーと宿のホストが談笑しているのが見えました。店のオーナーが笑っているところを初めて見たので、忘れられません。ガハハと笑う表情に、釘付けのまま歩く私が、店の入り口から2、3メートル手前に差し掛かったとき、彼と目が合いました。8日通って初めてのことです。ぎょっとして立ち止まった私に、オーナーは手招きをします。
「お前も食べてみろ」
話しかけられたのも初めてでした。
「新メニューだ」
突っ立ったままの私に、無愛想なレジの女が、ひとくちサイズの小さなケーキをトレイに乗せて持ってきました。それは、マサフィナと呼ばれるお菓子です(写真を撮り忘れた)。数にして10個くらい、ありました。いくらだろう。ぼったくられるのかな。そう思いながら、オーナーが店の厨房へ戻るのを見ていたら、宿のホストが、ゆっくり、おそらく小学生が使うような優しい英語で、ケーキとオーナーのことを話してくれたんです。このケーキは試作品で、無料だということ。それ以外を当時、ほとんど正確に理解できなかったんですが、何度も聞き直し、聞き取れた単語だけを繋ぎ合わせた私の解釈と推測は、こうです。
オーナーはアルゼンチンからの移民で、故郷はブエノスアイレス。海を渡ってシドニーに来る前は毎日、教会に集まる孤児にマサフィナを作って、振る舞ってたんだとか。それをこの店で商品として出すことに、オーナーは迷いがあった。でも決心がついた。あの風貌で教会かよ。なんて思ったけど、人は見かけによりません。ホストいわく、オーナー自身も孤児だそう。昔は踊り手でも、あったんだとか。あの図体で踊れるのか...
まさか
ホストに確かめると、踊りとはタンゴのことでした。それはアルゼンチンタンゴを意味します。
誰から踊りを習ったんだろう
尋ねると、ホストは何も言わずに肩をすぼめるのです。私は知らないわ、というジェスチャー。厨房から戻ってきたオーナーに私は直接、尋ねました。誰からタンゴを教わったんですか? あなたの師匠は? オーナーは眉間にシワを寄せ、なんだ急に、みたいな感じのリアクションです。私から話しかけたのは、このときが初めて。そりゃ、そうですよね。いま冷静に考えると、わかることです。それが、あのときには、わからなくなっていました。それでも私は目を逸らさず、自分の体をオーナーへ向けます。私のクチから出てきたのは日本語でした。何かのタガが外れたように日本語で、まくしたてました。
私の父が、アルゼンチンタンゴを踊ったこと。父は、旅先のブエノスアイレスで喫茶店に入ったとき、ステージで踊るダンサーに魅了されたこと。そのとき踊っていたのは、その店のオーナーであり、そのまちの有名な踊り手だったこと。店で出されたデザート、マサフィナを作っていたのもオーナーだったこと。「昼は教会で子どもたちにマサフィナを振る舞い、夜は踊った。あんなに尊敬できる男に会ったのは初めてだ」私の母に、そう話した私の父は、帰国して、同じような店を東京に作ろうとしたこと。もしかしたら私の父をあなたはーー。
「誰にも教わってない。俺は、店とまちからタンゴを学んだ」
私の日本語は遮られ、私の英語の質問にオーナーは答えてくれました。
追加のマサフィナをトレイごと私に押し付け、オーナーは店の入り口から表へ出ていきました。始まったのは、テーブルと椅子の片付けです。彼が着るつなぎを見ていると、わざわざ白い色を選ぶことないのにな。汚れが目立つのに。そう思って。こうも考えました。もしかして私は大切な場所に、土足で上がったのかもしれない。彼にとって、話したくない話題だったのかもしれない。これまで私が他人に、自分の父親の話をしたいと思ったことが1度も、なかったように。いや、そもそも私の英語の質問が通じていない恐れがある。
マサフィナを知っていた私を意外に思ったのか、怪訝な表情をしていたのは宿のホストでした。日本にもあるの? いや、ありません。そんな短いやり取りをしたあとの彼女は、私が持っているトレイのマサフィナに夢中という感じで。どれも美味しそうで選べないわ、みたいな顔をしているように見えます。1つに手を付けようとして、ひっこめる。違うのを選ぼうとして、また止める。そうした仕草を2、3回、彼女は繰り返して。「お先にどうぞ」という覚えたての英語を使ったのは私です。トレイごと彼女に渡します。「ありがとう」「どういたしまして」彼女は受け取ると、店の入り口を出て、椅子とテーブルを片付けるオーナーのもとへ。
これまで私は、父親のことを誰かに話したことがありません。
自分で見つけるつもりでは、いました。一般紙で働きたかったのは、記者になれば何かと好都合なんじゃないかと思っていたからです。でも、採用されなかった。それで拾ってもらった出版社に就職した。週刊誌に配属されれば、公私混同で父親を探せると思った。ところが配属先はスポーツ雑誌だった。好きなスポーツだったし、いずれ異動すればいい。不満はなかった。それなのに満たされなかった。だから辞めた。フリーになった。付き合いのある週刊誌にネタを持ち込んでいたら、ランチのときに副編から言われました。
「内定を出した来年の新卒が、もうすぐインターンで来るからさ、頼むわ。面倒みてほしい。お前の後輩だし、ちょうどいいだろ」
何がちょうどいいんだ。帰国したら、その後輩とやらの、おもりかよ。カフェの取材で、カメラを持ってきてほしいんだとさ。
なにやってんだ、オレは
そう思った、そのままが日記に残っています。
あのとき、なぜ私は普段、絶対に話さないような自分のことを言葉が通じない旅先の外国人に話そうと思ったんだろう。そうわかっていて、それでも伝えようとしたのは、何が、私をそうさせたんだろう。初めて行った国で出会ったばかりの外国人が、行方知れずの自分の父親のことを知るはずもない。そんな偶然や、偶然以外の何かを私は、あのときに期待したのかもしれません。
「ケーキは嫌いか」
声に我を取り戻した私の前には、オーナーが立っています。毛むくじゃらの彼の手には、マサフィナがのったトレイがあって。言葉に詰まった私は、好きですと言ってトレイごと受け取りました。オーナーは再び店の奥、厨房へ。彼の丸くて大きな背中を見送ったのは、私だけではありません。レジの無愛想な女も同じでした。女は、クチャクチャと音を立てながら、ガムを噛んでいます。それを膨らませようとして失敗したとき、私は女と目が合ったんです。少し気まずいなあと思って。でも、それに構わず女は言いました。
「あんな人だけど、タンゴは、まち一番だったんだよね」
私には、そう聞こえました。女は「He」という英単語を使ったんですが、このとき私は、女とオーナーは親子なんじゃないだろうかと思ったんです。不愛想は、父親譲り。過保護な父、それをうとましく感じる娘。年頃の娘が派手になって遊び歩いて、それが心配でならない。孤児として育ち、生きた体験が、その思いを強くさせるとか。想像を膨らませすぎだ。そもそも2人は似てないんです。もっと言うと肌の色が違う。母親は、どんな人なんだろう。いろいろ気になって、でも尋ねるだけの英語力はないし、そうできたとして、それはプライバシーを侵害するようにも思えました。
着ていたエプロンを脱ぎ、畳んだ女は、それをジレカウンターの上に置きました。反対側の手でつかんだのは、壁に掛けてあったリュックサックです。それを背負いながらレジカウンターをくぐると、店の表に立てかけてあった自転車に女は、またがりました。
「バイ、エルサ」
女に声をかけたのは、1脚だけ残された椅子に座る宿のホストです。手を振って声に反応するエルサを見送ったホストは、1席だけ残されたテーブルにコーヒーを置き、強い日差しを避けるようにサングラスをかけ、本を読み始めました。気づくと狭い店内で私は、1人になっていて。この1人旅で、初めて孤独を感じた出会いです。