胡桃堂喫茶店

特集・如月篇[令和七年]喫茶店

abri

とりがすきー川越

※『あぶり珈琲』とは、「珈琲の豆を炒る」の意味でもよいのですが、私達としては、仏語で「隠れ場・避難所」を意味する「abri」をとり、日頃のストレスや雑踏から解放できるような安らげる空間を造りあげて行きたいと思っております。
お話も大切ですが雑誌でも見ながら、たまにはのんびりお過ごし下さい。

※携帯電話とその素敵な美声はマナーモードでお願いいたします。

-あぶり珈琲店内メニューより-

、、あんみつを食べていたら、涙がこぼれて。ボロンボロンと後から後から。なのに、食べる手は止まらない。店内は私一人。さすがに心配になった給仕の女性が、「、、大丈夫?」って、声をかけてきてね。大丈夫ですって、とりあえず返したけど。

「、、生きていると、色々なことがありますよね。」

そう言って、彼女はほうじ茶のおかわりを注いでくれた。湯気を見ながら、はい、、と小さくつぶやく。
すみません、ご心配おかけして。私よりはるかに先輩と思われる初老の女性の心遣いに、我に返る。

「、、それにしてもここのあんみつは、本当に美味しいです。長くお店をされているのですか?」そう聞くと、いえいえと笑い、カウンター奥の男性を見ながら「私たち、雇われなんですよ。珈琲店やってる息子から頼まれて。

あぶり珈琲って、ご存知?」

え?
あの,、時の鐘の近くの、ですよね?地元で一番好きな珈琲屋さんです。って、びっくりよ。あぶりさんのご両親だったなんて。

甘味屋開くからって店を頼まれて。でもね、2人ともそれなりの歳だから、最近はあんこ練ったり立ち仕事がきつくなってきていてね。
にこにことおだやかに話す奥さんの後ろで,洗い場からジャージャーカチャカチャと、片付けの音がする。

あんみつをきれいに平らげて、湯呑みで手を温める。鼻に抜ける香ばしさ。
口中を浄める一服。

またいらしてくださいね。笑顔に見送られて、お店を後にしたのよ。すっきりしてね。またこよう、何度も何度でも来ようって。
それなのに。

それからしばらくして、そこはクレープ屋さんになっていたの。ゴテゴテに飾られたパステルカラーの外壁には、あの佳き甘味屋の趣は微塵もなくて。

呆然として、イヤな予感でいっぱいになって。
早足で、あぶり珈琲に向かったわ。

1時間後、私はブレンドNo.5(ナンバーゴ)深煎り珈琲とショコラケーキを頂いていた。
午後3時過ぎの店内はそれなりの混み具合。ひそやかにジャズが流れ、密度の割に店内は静か。
長年ちょぼちょぼ通っているけど、マスターとは必要最低限の会話しかしたことがない。いきなり「ご両親は、、」って聞くのもなんだか、、。
悶々としていても、珈琲とショコラは相変わらず美味しくて。入り口付近の個室には足踏みミシンをリメイクした机があり、なんとはなしにカタカタと足踏み台を動かしてみたり、、、。

✳︎

「、、で、どうだったの?」
アートカフェエレバートの名物、自家製さつまいもプリンを掬うと、眼下には一番街の喧騒が見える。

「うん。あ、両親は元気ですよって。身体がきつくなって、それでお店を畳んだんです、って。」
よかった!生きてた!ってホッとしたけれど、もうあのあんみつには会えないんだなぁ、、って、残念でね。
お別れって、いきなり来るから。お店も人も、そしてあの味も。

マスター曰く、
「今は、蔵造りの通りにある、手ぬぐい専門店の店番をしてもらってます。」とのこと。

「って、もう、15年以上も前の話なんだけどね。」
「ふーん、そんなご縁が、ねぇ。
で、なんで今日は久々の帰省であぶりさんじゃなく、ここでお茶な訳?」

姉はニヤリと笑って言った。
「今日はさつまいもプリンを食べながらCOEDO紅赤(べにあか)な気分だったから。君が仙台から来るのをいいことに、昼間からビールを飲もうと思ってね。」グラスをぐいっと飲み干す。
それに、と続けて
「あぶりさんは、1人で行きたいところだから。珈琲と真摯に向き合う、私にとっての茶室みたいなものかな。」
なんてね。カラカラと笑う。アルコールが入ると、姉はひたすら明るい。

✳︎

そんな訳で、僕はまだ一度もあぶりさんに行ったことがない。
こんなに親しみを感じているのに、ね。

とりがすきー川越

都内で生まれ、3歳から川越。
ほぼほぼ川越人。
でも愛しているのは、ぞうきりん。