胡桃堂喫茶店

特集・如月篇[令和七年]喫茶店

バリア

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20万円
16歳になって、親から借金して買った原付バイク。
そのお金を返そうと、初めてアルバイトをした喫茶店、バリア。
海岸沿いの道から、まちに入る境目にある小さな喫茶店。
寡黙なマスターと、おしゃべりで優しいママが切り盛りしている。
やわらかでジューシーな鶏肉に、ほどよい酸味が効いた、チキン南蛮が絶品で
休みの日になると、行列ができる地元で人気のお店。

初めて経験する仕事。

しかも、通っていた高校ではバイトが禁止されていた。
接客の不安、先生がお客として来ないかの心配、
そして、マスターの威圧感。

何もかもが不安で、ふわふわしながら働きはじめた。

マスターは多くを語らず、背中をみて覚えろという人だった。
フォーク、ナイフ、スプーンを布巾で綺麗に水気をとる作業。
コーヒーの淹れ方、ビールの注ぎ方、運び方。
仕込みをしてる間に、他のことも同時に動くこと。
注文を聞き、そのメニュー名を簡略して厨房に伝え、
配膳し、片付け、お会計をする。
ひとつひとつの作業に緊張しながら、
いかに効率よく仕事をするかを叩き込まれた。

ときに、コーヒーをこぼし、グラスを割り、お会計を間違え、
その場から逃げ出したくなる失敗を重ねながら
日々、少しづつできなかったことが、できるようになっていた。

2ヶ月たったとき。

仕事に慣れはじめながらも、ひとつの不安を感じていた私は、ママに相談した。
「マスターって僕のこと嫌いなんでしょうか?」
マスターは、他のバイトの子に対しての態度と、私に対しての態度が明らかに違っていた。
というか、私だけ無視に近い態度をとっていた。

「私もそう思っていたのよ。マスターに聞いてみるわね。」

後日

「わかったわよ!整髪料だって。整髪料をつけてるのが気に入らないんだって!」
「えーーー!」

当時、中田英寿に憧れて、短髪に前髪をたてた髪型をしていた。
匂いのないもので、清潔感を心がけてたことが、まさか原因だったとは。
次の日から、整髪料をつけづに働きはじめ、マスターも次第に打ち解けてくれるようになっていった。

バリアで2年近く働いた。
高校の生徒指導の先生がお客として来たり(変顔で他人のフリして接客した)
後に付き合う彼女がお客として来たことも。
また、お客さんから貰ったMDに入ってたGOING STEADYの曲は、今でも励ましてくれる歌になっている。

いつの間にか、学校のこと、恋人との悩みを、マスターやママにあたり前のように話せる関係になっていた。

そして、高校卒業後の進路を真っ先に相談したのは、マスターだった。
親から反対されてた、デザイナーになるという夢を、お前ならできる。と、優しく力強く後押ししてくれた。

バリアで過ごした日々は、まさに青春であり、仕事の厳しさ、楽しさを味あわせてくれた場所だった。

22年経った今。

実家に帰ると、灯りが点らなくなったバリアの前を通るたびに、そこであったことを思い出す。
親から借りた20万円のうち、5000円しか返していない後ろめたさを感じながら。

ape

国分寺とともにいきたい