髭面の男が、ログハウスから延びるウッドデッキの縁に腰かけていた。
背が高く、太い幹の広葉樹が何本もそびえている。それが長い日陰を作り、ウッドデッキを日差しから守っていた。立ち並ぶ広葉樹の隙間から流れてくる風に、顔や腕を撫でられながら、男は白い馬を眺めていた。
「観光客も来ない場所だから、お客さんなんて珍しいです」
コップと湯飲みがのったお盆を持って、女が掃き出し窓から出てきた。
「お客様用のものがなくて、湯飲みでなんですが」
ウッドデッキに座ったまま、男が振り返る。
「いや、冷たいものならなんでも助かります」
礼を言って湯飲みを受け取るとき、男は一瞬だけ女の指を見た。
「喉がカラカラでしてね」
一気に飲み干した。
「わざわざ、この牧場を目的に来るなんて、相当な競馬ファンですね。グアルディオーラがここにいるのは、あまり知られてないんです。あれで人懐っこいから、きっと喜んでますよ」
「いやー、我々ほどの筋金入りになるとね。情報網ってすごいんですよ。国内の牧場に居ることを知ったときから、一目会いたいなって、ずっと思っててね」
男は半身になって振り返り、女の目をまっすぐに見て、べらべら喋った。
「ここへは休暇で?」
女がお盆を置いて、掃き出し窓から戻ってきた。後ろ手に閉める。
「ええ、まあ。違うか、半分仕事みたいなもんですね」
「どんなお仕事されてるんですか」
女は表情を緩ませた。声は穏やかなトーンだった。
「撮ったり、書いたりする仕事です」
「撮ったり書いたり、ですか」
女の声が低くなる。
「実は、探偵みたいなこともやってまして――」
男は空の湯飲みを置き、前を向いたまま、バックパックのなかから革製の名刺入れを取り出した。二枚の名刺をとって指にはさむと、自分の頭の後ろに差し出す。
「まあ、何でも屋みたいなもんです。こういう者でして」
女が前かがみで一歩、二歩、三歩、踏み出した。名刺に書かれた文字を読む。
「
「ええ、よくご存じで。人気者ですよね」
女が首を横にした。
「それと、こっちは」
女の声が緊張を帯びた。
「こっちは、何て読むんですか。株式会社——」
「
男はウッドデッキの縁で脚をブラブラさせている。
「取材で全国、ときには海外にも行くんで、まあいろんな場所に行くんですよ。森の中もあれば地面の下とか海の上とか。おれの場合は、人のいない場所と縁があって、映画やドラマなんかの撮影地の相談、紹介、交渉、手配なんかを専門に請け負うこともやってましてね」
女は名刺を受け取らずに後ずさり、ログハウスの掃き出し窓に寄りかかった。
「いや、持ってってもらえませんか。念のために」
男は、指ではさんだ2枚の名刺同士を左右にこすり合わせる。
「それで、何か御用ですか」
女の表情は硬かった。眉間に少しだけしわが寄り、口は一文字に結ばれた。声には棘がある。
男が片膝をついて立ち上がる。女に向き直ると、男は2枚の名刺を指にはさんだまま、前へ突き出した。ウッドデッキを隔てて向き合う女の背は、男よりも高い。
「
男は言葉を切った。女の反応をうかがう。一回、二回。女は瞬きをし、コップに口をつけた。女は男から視線を逸らさない。
「——さっき、無視されちゃって。お戻りになるまで、ここで待たせていただくわけには参りませんか。佐伯さん」
男は、指ではさんだ2枚の名刺同士を左右にこすり合わせる。
「お引き取り願えますか」
佐伯と呼ばれた女が一歩踏み出した。真っすぐ立つ。コップを持っていない反対側の手を脇にはさんだ。背筋が伸び、長い脚が目を引く。
「いや、失礼。今は旧姓を名乗られているのかな、海老沢さん」
男は口の端を片方だけ上げ、指ではさんだ2枚の名刺同士を自分の顔に引き寄せる。そのまま顎を上げると、上目遣いで女を見た。
「あの子には、まだ時間が必要です」
「いやいや、別に首に縄をつけて帰ろうってわけじゃない」
男が名刺をポケットにしまった。
「ただ、確かめたいだけですよ。おれだって要件を知らないんだ。居場所を突き止めるまでの契約なんです。会って話せれば、それでおれの役目は——」
女は持っていたコップの中身を男に浴びせかけた。
「指一本触れさせないわ」
男はまぶたを閉じただけで、動かない。ゆっくりとまぶたを開け、顔にかかった液体を片手で拭う。その指をなめた。
「麦茶、かな」
男が両手で、麦茶をかぶった髪の毛を頭の後ろへなでつける。
「慣れてます、こういうの」
「帰って」
「おれね、痛覚が麻痺してて。痛みは、ほとんど感じない気質なんです。こっちも仕事なもんでね。待たせてもらって、いいですか」
男は女に背中を向けたまま、ウッドデッキの縁に腰かけた。
視界の先の円馬場に白い馬の姿はなく、代わりに鮮やかな栗色の毛をした馬が一頭、肢体の側面をこちらに向けて立っていた。
「あれ、グアルディオーラどこ行ったよ?」
男の背後から足音が近づく。止まった。
男が振り返り、見上げると、女は口を開け、まぶたを大きく開いていた。
「この距離で…しかも、こちらに身体の側面を見せている」
女は前を向いたまま、視線だけを男に落とした。
「あなた、不思議ね」
「珍しい褒め言葉をありがとうございますです」
男がニヤニヤしながら前を向く。
「
「怖がる?」
サーーーッ。長い風が会話を遮った。広葉樹の葉と葉が擦れる。それが止むと、馬が鼻を鳴らした。
男が女に振り返った。
「いやいや。あれは恐怖を抱く人間の振る舞いじゃない。おれにはわかる。おれのことを完全に無視したんだ。怯えている小娘にできる芸当じゃない。嘘ついて誤魔化そうったって、そうはいかないね」
「