胡桃堂喫茶店

特集・葉月篇[令和七年]

おはなし屋の夏休み

きときと

今日はおはなし屋さんはお休み。夏休みなんです。

おはなし屋さんは、動物たちからお話を買って、それを売ったり、世界のエネルギーに変えたりしているお店です。

ふくろうのご主人と、言葉にならない体験を「おはなし」にするライターのキツネが働いています。

 

今日はお店をお休みにして、山をこえてキャンプにやってきました。
「このトンネルはいつごろ、どうやって作られたんだろうね」
「ここにいる生き物たちはどんな生活をしているんだろう」

旅行に来ても、ふくろうやきつねは、「おはなし」に注目してしまいます。
そういう性分なんでしょうね。

ふたりは、山の中の小さなキャンプ場を見つけ、テントを張りました。今日のごはんは、山菜の炊き込みご飯と、どんぐりのスープです。てきぱきと準備を進め、美味しそうなご飯が出来上がりました。

「山菜ごはんを食べると、うさぎの子のことを思い出すよ」ふくろうが言います。
「お母さんの作る山菜ごはんが好きで、食べるたびに感想を売りに来ていたよ」

「うさぎの子は、毎回初めて食べた感動を味わいたいから、何度も感想を売りに来ていたんだね」キツネにはその気持ちが分かります。なんだって、初めては嬉しいものです。

 

 

ごはんのあとには、温かい紅茶を飲みました。陽が沈み、だんだん寒くなってきました。あたりはしんとして、山の奥の方から星が上がってきています。
紅茶からあがる湯気を見ながら、静かにふくろうは言いました。

「キツネがうちに来た時のことを思い出していたよ」
「キツネは、店に入ってくるとみんなのエピソードを眺めてしずしずと泣いていた」

キツネはゆっくり応えました。
「驚きましたね。あんなにたくさんのエピソードが集められているところはありませんでしたから。一つ一つに話しかけられているような気持ちになって、気づけば涙が出ていました。それと同時に「ああ、全部を読むことはできないな」って絶望的な気持ちになりましたよ。あのとき、なぜ何も言わなかったんです?」
「また来るような気がしていたんだよ。今声をかけなくてもまた会えるような気がね。」

「そうか。結局こうやって、働くところがあって、私はよかったですよ。どうしてもね、今でも落とし穴に落ちたような気持ちになることがあるんですよ。そんなとき、お店のエピソードたちは、私を今のところに戻してくれる。落とし穴でもなかったじゃんって。町に必要な場所なんですよ。おはなし屋は。」

きつねは、紅茶を飲みました。香りつけにいれたブランデーが多かったようです。そのままゴロンと寝ころびました。

空は満天の星です。

きつねは地面に穴を掘りました。どうやらこのまま寝てしまうようです。
「今日も最高の一日だった」空を見上げてきつねはつぶやきました。

山の向こうで花火が上がりました。遠くの村では今日は花火大会のようです。
ふくろうは、花火を見せにきつねを起こそうかと思いましたが、そっとしておくことにしました。

もうすぐ夏が終わります。「今年の夏もよく働いた。」ふくろうはフッと息をつきました。

夏の終わりの花火が、くっきりと大きく上がっていました。

きときと

胡桃堂喫茶店で働きながら、学校で授業をしたり、自宅で子供や大人の話を聞いたりしている。ここ最近は「文体」という言葉を探究している。


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