胡桃堂喫茶店

特集・葉月篇「グラス」

お冷考断片集Ⅰ

今田順

喫茶店やカフェにおいて、店内で飲食したすべてのお客が
必ずお店側から受ける行為がたったひとつだけある、
そう私は考えている。
それは、「お冷を机に置かれる(お白湯やお茶の場合もある)」という行為である。

他の候補を考えてみる。
入退店の挨拶は、ないお店もあるだろう(お客に気づかないこともある)。
頼むメニューや座る席は、人によってまちまちである。
お会計は、複数人の場合、店員とやり取りしない人も出てくるだろう。
こうして考えてみると、実は「お冷を机に出される」という行為だけが
すべてのお客に共通する経験として、唯一残るように思われる。

これは立場を店員側に切り替えても同じで、すべてのお客に共通して行う行為は
「お冷を机に出す」以外に存在しないのではないかと思う。

「いやいや、スターバックスはお冷出ないよ」という方もいるだろう。
実はここに、カフェのフルサービス/セルフサービスの違いが現れる。

一般的には、フル/セルフの違いは、
カウンターで注文して、自分が商品を机に運ぶかどうかの違いであると言われるが、「お冷を置かれるかどうか」も、フルサービス/セルフサービスの分岐でもあるのだ。
(フルサービスなのにお冷がセルフというお店を未だ自分は知りえない。今はコロナウイルス対策でそうしているお店もあるのかもしれないが…)

さて、話が少し脱線したけれど、
「お冷を出す/受ける」という、一見、地味でありふれた行為は、
実はすべてのお客と店員にとって唯一の共通体験であるということを確認していたのだった。

ただ、このお冷を出す/受けるという行為は、唯一無二の共通体験であるがために、凡庸な体験となり、お店側もお客側も、なんとなくお冷を出したり受け取ったり(なかには出されても反応しないという人も多くいる)ということで終始していることが多い。

しかし、一方で、この凡事にこそ気を配り、最良のタイミングで、最良の温度で、最良の量のお冷を、最良の置き方で、最良の置き場所に置こうと試みるお店もある。

良いお店かどうかを見極めるためには最もシンプルなメニュー、つまり、イタリアンであればマルゲリータかアーリオオーリオ、蕎麦屋であれば、かけそばかざるそばを頼め、という言説があるがわたしはそれ以前に、お冷を出す行為にこそ、お店の神髄が顕れると思っている。
であるがゆえに、お客さん側も、たかがお冷と思わずに、お店側が出すお冷を、しっかりと受け取ってほしいのである。(会釈する、ちょっと笑みをこぼしてくれることがどんなに嬉しいか)

この小さな交換(交感)がうまくゆくと、その後の飲み物や食事の提供、さらには会話やその他諸々のやりとりがうまくリズムに乗ってゆけるということはよくあることで、ひとたび、一人の客と一人の店員の波長が合ってくると、それが他のお客と店員のやりとりの調子、ひいてはお店全体のリズムをつくってゆくのである。

たかがお冷、されどお冷。
「お冷からカフェは創られる」
と言っても過言ではないのだ。

 

では、なぜ、そもそもカフェはお冷を提供するのだろうか。(まさか、お客さんとのリズムを作り出すため、ではなかろう)

そもそも、飲み物を沢山飲んでほしければ、そして、「ケーキのお供はお冷でいいです」というお客さんをなくしたいならば、ハナからお冷なんて出さなくてもよいはずである。
それでもカフェは律儀にお冷を出し続ける。
カフェにとって
お冷とは、どんな意味があるのだろうか。

けれども、これは別の物語。
いつかまた
別のときにはなすことにしよう。

今田順(いまだ・じゅん)

元クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店のスタッフ(2012-2020)。クルミド出版、胡桃堂書店など主に書籍に纏わることをやっていた。現在は故郷の広島でまちづくりの仕事に従事する傍ら、個人で本にまつわる活動も少しずつはじめたらしい。あと、トレードマークの猫背の改善が進んでいるらしい。

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