「今日はどこかで並んでたの?」
ぼくが玄関を開けるなり、さおりちゃんは訊いてきた。
「どっかお店の中、帰り道の途中だけど、場所はよく分からない」
「困ったことにはならなかった?」
「大丈夫だった、たくさん並んでたから」
「そう、よかった。お腹減ってる?」
「ぺこぺこ」
「どうしてお店に入ったの?」
「トイレに行きたくなっちゃったんだ」
「そうか、仕方ないね、漏らすよりいいね」
「漏らさないよ」
漏らさないよ。町中で小便を漏らしてしまうよりは、なかなか家に帰れない方がましだ。ましだ、というか、帰路に時間がかかることにはもうすっかり慣れてしまった。これがぼくの人生だ。ぼくは自分の人生を受け入れている。というか人生の話じゃなくて、漏らすくらいなら立ち小便をするよ。近頃は立ち小便をするような場所が少ないから、漏らしてしまうことを選ぶ人ももしかしたらいるのかもしれないけど、ぼくは漏らさない。立ち小便をしているときに注意するような人はいるかな。ズボンが小便でびしょびしょになっている人が歩いているのとどちらがいいだろう。ぼくだったらどっちも気にならない。さすがに電車やバスの中ではどちらもイヤだなあ。
「今日はお魚を煮てみました」
「いただきます」「いただきます」
時刻は夜の8時半だった。夕飯を一緒に食べようとぼくの帰りを待ってくれていたさおりちゃんを待たせ過ぎなくて良かった。あまりにも帰りが遅いときには、ひとりで先に食事を済ませてしまうけど、彼女が言うには、できるだけ一緒に食べたいのだそうだ。
ぼくは「並び病」だ。お医者にかかったことはないけど、自分でそう呼んでいる。人が何かを待って立っていると、どうしてもその後ろに並んでしまうのだ。もう50年もこの病気と付き合っている。めんどうくさいので自分でも病気と呼んでしまっているけど、本当は病気ではなく、これはぼくそのものだ。だからこれを病気というなら、ぼくの存在そのものが病気だ。とはいえ、そんな言葉のちがいはぼくの日常生活になんの影響も与えない。人がぼくを病気と見なそうが変人と思おうが可哀想な人と哀れもうが、そんなことはどうでもいい。ぼくはぼくの人生を受け入れた。もう40年も前に。人が立っていればその後ろに並ぶ。それがぼくの人生だ。
それでも、困るようなことはしばしば起こる。一番困るのは、行列じゃないときだ。行列ではなく、ひとりの人が立っていても後ろに並んでしまうから、その人が女性だったりシチュエーションによっては、痴漢か何かと間違えられて通報されてしまう。そういう病気なのだと説明しても、警察は大抵分かってくれない。そんなときはさおりちゃんに連絡をして迎えに来てもらう。これまで何回も、そういうことがあった。さおりちゃんには迷惑をかけていると思うが、本人は全然気にしていないと言う。その言葉を本当だと思って、ぼくはさおりちゃんと暮らしているし、実際にさおりちゃんはずっとぼくと暮らしてくれている。
人が何かを待って立っている姿は、町に出ればいたるところで目にとまる。ぼくは、遠くから見つけたそういう人のところにわざわざ歩いて行って並ぶわけではない。自分の近くにたまたまそういう人がいたら、並んでしまうのだ。前の人が用事を済ませて待つのをやめると、ぼくも列から解放されて自分の好きな方に進める。だけど、並んでいる間はどうしても列を離れることができない。
電車のホームでもすこし困ってしまうことがある。ホームへの階段を上って一番先に遭遇した列に付いてしまうので、乗りたい電車と反対方向の列に並んでしまうことがあるのだ。前の人たちの行列の目的は電車が来れば果たされるから、その人たちに続いて反対方向の電車に乗ってしまうことはないけど、並んでいる間に反対側のホームに乗りたい電車が到着しても、列を離れて乗り込むことができない。
本当にどうしようもないときには、周りの人に助けてもらうという解決方法もあるにはある。二人いればより良いが一人でもなんとかなる。列から無理矢理引き剥がしてもらうのだ。素直な人に、自分のことを丁寧に説明すると、初対面でも分かってもらえることがある。もっともそれが成功したのは40年の間に5回だけで、ほとんどの場合は気持ち悪がられて離れて行ってしまう。列の前の人が気持ち悪がってどこかに行ってしまうこともあって、そうすると列がなくなって並ぶこともなくなる。
でもぼくは人との関係が悪くなるようなことをことさらに選びたいわけじゃない。だから、並んでしまったときには助けなど呼ばずそのままじっと列が終わるのを待つ。
こんな病気じゃない人はぼくのことをすごく大変と思うかもしれないけど、並んでいる間ぼくは心がとても穏やかになる。行きたいところに行かれなくなってイライラすることはないし、行列の進み具合が気になることもない。列があったら並んで、前の人がいなくなったらまた歩き出す。その間は並んでいる自分に没頭して、疑問や焦燥や悔しさや自己嫌悪のような感情はまったく湧かない。かといって、この上ない喜びがあるというわけでもない。ただ、並ぶだけだ。
煮魚が美味しくて幸せだ。甘いのとしょっぱいのがまじっていて、なくなるまで箸が止まらない。幸せな気分で眠りにつこう。ぼくはもう仕事らしい仕事はしていないので、毎晩布団に入ると、次の日に何をしようか考える。明日は遠くまで歩いてみようかな。
* * *
大きな通りの歩道を歩くと、少し見上げた向こう側に、もっこりとした木々が夜空に黒々と見えた。たぶんあそこが動物園や美術館がある公園だ。もう夜だというのに、車も人通りもとても多い。今日もここに来るまでに何度か列に並んだ。でもこの通りでは、何かを待っている人を見ない。夜だからかな。そろそろ帰ろう。さおりちゃんには、今日は一日中歩いていると伝えてあるから、きっと先にご飯を食べている。
ぼくは自分の家の方角が、だいたいどっちなのか分かる。帰ろうと思えば、体がなんとなく家の方に向かうようだ。道を憶えているわけではないのだけど、しばらく歩いていれば大抵、知っている場所に出る。
通りをそのまま進んで、黒い木の方に続くゆるやかな坂を上る。大通りを離れるとさすがに人通りはまばらだ。坂を登り切ると突然視界が開けて公園に続く広い階段が現れた。階段には若いカップルやホームレスのような人たちがところどころに座っていたけど、その誰もが何かを待っているわけではなかったので、ぼくはすんなりと階段を上り切った。階段を上ると、右手にこの公園のシンボルになっている大きな銅像が立っていて、正面には長い四角い形の池がずっと向こうまで続いていた。公園は暗くて、人影はさらに少ない。音楽を鳴らして体を揺らしながら大きな声で話をしている缶ビールを持った若者と外国人の集団だけがひときわ目立った。
ぼくは四角い池を右手に見ながら池に沿って歩いた。しばらく歩くと池の角のところに大きな木があるのが見えて、その向こうに出口の柵があった。公園を出たら右に進もう。柵の向こう側は、少し車通りの多い道だった。公園が暗かったので、車のヘッドライトのまぶしさに目を奪われた。木を通り過ぎようとしてふと右を見ると、木の陰に池を見つめるようにして女の人が立っていた。ぼくはその人の後ろに並んだ。
「あの・・・なんでしょう?」その人は聞いてきた。
「申し訳ありません。ぼくはちょっと病気でして、何かを待っている人がいると後ろに並ばずにはいられないのです。本当にすみません。待つのをやめてもらえたら離れますので、ぼくがいなくなるまで何かをお待ちになるのをやめていただけますか?」
これまでに何度も口から出た言葉だ。ほとんどの場合は気持ち悪がってどこかへ行ってしまう。ごく稀に警察を呼ばれてしまうこともある。いまは夜の公園だから、もしかしたら呼ばれてしまうかもしれない。
「いえ、やめることはできないです」
予想していない言葉だったので、一瞬意味を理解できなかった。
「ほんの少しの時間だけでいいのです。ぼくがいなくなる間の2~3分だけ」
「いえ、できないです」
「そうすると、本当に悪いんですが、あなたが待っている人が来るまで、ぼくはあなたの後ろに並んでしまうのですが、よろしいのでしょうか」
「仕方ないです」
ぼくはそのまま彼女の後ろに並んだ。口では「申し訳ない」と言っているけれど、悪いという気持ちは全然ない。相手の立場になると気持ちが悪いだろうと想像できるから、そのように伝えるのだ。並んでいるときには、心に波が起こらない。
「こんな寂しいところでどなたかを待ってらっしゃるのですか?」
普段ぼくは、列の人に話しかけることはない。それは自分に課したルールのようなものだ。もし話しかけてしまうと、「話すことが目的で並んでいるんだ」と、自分の無意識が勝手に納得してしまいそうな気がして、それが嫌なのだ。列に並べばコミュニケーションを取るものなのだという、自分のものではない感覚に騙されたくない。だけどそういうのは行動の繰り返しによってあっけなく覆される。だから、少しのルールは持っていなければならない。やっぱりぼくは、ぼくの人生を愛しているのだろう。
彼女は返事をしなかった。じっと池を見つめている。時折わずかに吹く風が、水面に映った池の脇にひとつだけある電灯の光を動かす。夜の蝉は鳴いていない。かわりにすっかり秋のような虫が、さっきまでは気がつかなかったけど、ずっと鳴いている。うっすらと体にかいた汗が少しずつ乾いていく。風が少なくて生暖かい夜だ。月が出ていないのが少しだけ残念だ。
「おじさんはどうして並んじゃうんです?」
唐突に彼女が聞いてきた。視線はずっと池に落としたままだ。どうしてなのだろうね。自分でも理由はわからないのですよ。気がついたらそうしていて、はじめは悩んだりもしましたけど、自分のことをよく観察してみると、並んでしまうことはまったく嫌なことではなかったので変えようとも思わず、そのままずっと並び続けているんです。そう考えながら返事の言葉を探していると、彼女は続けて言った。
「今日でもう、並ぶのお終いかもですね」
どういう意味だろうか。お終いかも、ということは、お終いじゃない可能性もあるという意味に取れるけど、近頃の言葉は本当の意味が分からない場合がある。
「それは、どういう意味ですか?」
「明日からはもう、並ばなくなるってことです」
「どうしてそう思うのですか?」
「おじさんはどうして並んじゃうんです?」
また同じ質問をされた。どうして並んでしまうのか、自分では本当に分からないのです。はじめの頃はすごくたくさん考えて、子供の頃のこととか思い返してみたりもしましたけど、結局、理由らしい理由は見つかりませんでした。例えば、あなたはどうして息をしているのですか?と聞かれて、生きるためです、というような答えしか出てこなかったのです。そしてぼくにとって一番大きなことは、並ぶのが嫌じゃないところです。これを変えたいとは思えなかったのです。そうして50年も経って、顔のしわが刻まれるのと同じように、並ぶことがぼくのかたちになっているのです。理由は見つからないまま、そのかたちになっているのです。
ぼくは今これを声に出しただろうか。出していないかもしれない。彼女はなにも言わない。ずっと池を見つめている。いったい何を待っているのだろう。
突然後ろから強い光に照らされた。池が白くなって、彼女とぼくの影がその上に長く伸びた。ふたりの影はゆらゆらと揺れる水面に黒く不気味に這って、布を手で引き裂いたようにいびつな形をしていた。
「ここで何をしているんですか?」警官がふたり、柵の向こうに立っていた。強い光はパトカーのヘッドライトだ。呼ばなくても警官が来てしまった。とにかく説明を試みるしかない。ぼくは病気で、人が立っていると後ろに並んでしまうという特異体質でして、この人がここで何かを待ってらっしゃったので後ろに並びまして、待つのを止めていただければ私はここから去ることができるのですが、この方はどうしても待つのを止められないというので、こうして並んでいるのです。
公園の門を抜けて私たちの側にやってきた警官たちに私は用意した言葉を喋ろうとした。しかしその前に彼女が声を出していた。
「ちょっと悩みがあったので彼に相談していたんです」
警官たちは顔を見合わせ、一人が彼女に質問した。
「こんなところでですか?」
「公園を散歩しながら話をしていたんです。ちょっと込み入った話になってしまったので、立ち止まっていました」スラスラと答えながら、視線は池に落としたままだ。
ふたりの警官は、なんとなく釈然としない表情をしながらも「暗いので気を付けてくださいね」と言い残して消えた。
「ここを離れるわけにはいかないんです」
パトカーが走り去ると彼女はそう言った。
「ウソついちゃいましたね」
「龍を待ってるんです」
「・・・龍? あの、神話とかに出てくる、龍、ですか?」
「龍です」
「龍・・・は、こんな公園の浅い池にいますか?」
「いるんじゃなくて、来るんです。一瞬のタイミングを逃すともう次はないんです。だから目を離したらだめなんです。警察に連れて行かれるのは困るんです」
「・・・龍は来ますかね?」
「来るまで待ってます」
「龍が来たら何が起きるのですか?」
「これまでの自分にバイバイするんです」
「龍が来るとサヨナラできるのですか?」
「そう。おじさんもきっとバイバイできます」
「ぼくは別にバイバイしなくてもいいんだけど・・」
「龍が来たらバイバイしちゃいますよ」
「そうなのですか」
「おじさんはどうして・・・」
彼女がそう言いかけたとき、水面がゆらりと盛り上がった。「来た」と彼女がちいさくつぶやいた。いつのまにか雲が切れて月が出ていた。なめらかに隆起した水面に月が映って、池の表面がぬめりとした生き物の背中のようになった。ナマズだ。池のナマズが水面を撫でたのだ。しかし彼女は食い入るように池を見つめてしきりになにかつぶやいている。
彼女が龍と見なしているものは実際はナマズだったが、彼女の想いは遂げられたので、ぼくはその後ろをそっと離れた。彼女はぼくが立ち去ったことにはまったく気がついていない様子で、一心に祈りのような言葉を唱え続けていた。彼女はナマズを見てバイバイできたのだろうか。
さおりちゃんはその夜ずっと、ご飯を食べずにぼくの帰りを待っていたみたいだ。
おわり