2022年2月
私はめずらしく悩んでいた。
物事を決めるのは比較的得意なほうだ。そんな私が、ベッドに横たわって輸血を受けながら、うーんどうしよっかなーと悩んでいる。
1か月後の手術で、子宮を全摘出するか、温存するか。
年齢・病気の再発リスクなどから全摘出をすすめられていた。
それが合理的だと思う一方で、「要りません」を決めきれない自分がいる。
こんなところが私にもあるんだな、と思った。
一時退院したその日に、足は自然と義母の元へ向かった。
義母はただ静かに頷いて、私の手を握ってゆっくり過ごすようにと声をかけてくれた。
数日後に義母から一通の封筒が届き、薄紫の便せんにはこう書いてあった。
藤波玖美子さんの言葉を送ります
仮に産んでいないということが、ひとつの欠如であるとしても、それは経験の欠如ではなく、欠如の経験です
私は全摘出を選べなかった。
・・・
2025年5月
手術から3年。
数年前の体外受精で凍結していた最後の胚盤胞を移植した。
胚盤胞のグレードからや私の身体の状態から考えて、ほとんど妊娠する可能性がないことはわかっていたが、手術のときの決断と同じ。一年に一回、凍結延長の意思を確認する通知が届くたびに、どうしても「もう要りません」の選択ができずにいた。
移植から1週間後の妊娠判定日。朝から初夏の青空が広がる日だった。
採血して30分ほどで診察室に呼ばれる。
妊娠は成立していないことを告げられた。
病院近くのドトールに入り、出勤前と思われるお客さんに囲まれたカウンター席で、アイスコーヒーを飲み干した。たった2週間だけれど控えていたカフェインを摂取して、この数年間の葛藤がふわーっと頭の中を巡る。
窓越しの青空がとてもきれい。今はもう聞くことのできない義母の声が聞こえたような気がしたとき、安堵の涙が一粒、二粒だけこぼれた。
自分が持つ非合理な部分を好きになっていることに気づいたから。