胡桃堂喫茶店

特集・卯月篇[令和七年]

にんぎょ(う)ひめ

水はわたしの体内をめぐる。
水はいのち。
水は何にでもなることができる。

そんなことを想うとき、あの頃のことが心に蘇った。

 

 

浪人して入った大学もあまり馴染めず、どこか将来を諦めたままだらだらと過ごしていた学生時代。

大学3年生の頃。
わたしは就活もろくにせず、人形劇団のワークショップを受けていた。

2年生のとき演劇学の講義でひとり教室に残っていたわたしに、先生が人形劇のチラシを渡してくれたのと、たまたま課題で人形劇の展示を観に行ったことが最初のきっかけかもしれない。

それから人形劇の美術を担当する方の展示をみて、「就活中に人形劇団の扉を叩いた」という言葉に感銘を受けた。
すくないながら、人形劇団に就職するという選択肢があることを知る。

子どもで居続けることに根拠をもたせられる仕事は、夢のように思えた。

 

その頃のわたしは、食べることも拒否気味で、からだもフラフラしていて、生きながら死を選んでいるような状態だった。
そんなわたしが、人形劇と出会った。

人形を動かしたり動かさなかったりしながら、いろんな感情を表現するワークをした。
小さな頃から一貫して好きなものといえば人形、という感じだったけれど、不器用で、人前で人形を動かす器用さもなく、人形で喋るのも恥ずかしかった。

自分の身体でいっぱいいっぱいだったから、身体の延長線上にある人形にまで意識がいきわたらなかったのだ。

そんな人形が、動くわけないし、生きているようにみえるわけない…
人形を生かせられない自分を受け入れるのは、難しかった。

楽しいのか苦痛なのかよくわからない時間を過ごしながらも、わたしはその過程で、また食べるようになり、生きることができるようになっていったと思う。

 

さいごに、参加者全員がなんでも自分が表現したいことをみせあう「一人芝居」の創作と発表の時間が与えられた。

鼻しかないまっしろの顔。手も足もあきらかではない。
透明なにんぎょう。
そんなにんぎょうに、わたしはじぶんの役を与えた、というより、それしかできなかった。

 

構成としては、最初人形として存在していたわたしが、途中人形の背後にいるもうひとりの人間のわたしと対話して、またにんぎょうとして新しく生まれ変わるというような・・・そんなもので、物語はワークショップの内容を彷彿とさせるようなかたちとなった。

演劇の脚本など書いたことがなかったけれど、現実と創作を結びつけて、同じ参加者のみなさんに向けて作ろうと思ったら、自然とできていた。

 

「にんぎょ(う)ひめ」は、その劇中劇(主人公の夢の中)のタイトルである。

ギャラリーで買った幻想的なインストに合わせながら、にんぎょうの柚は夢の中でうたいながら、上へ上へと泳いだ。

にんぎょうを天に向かって捧げながら、劇団員の方々が照らしてくれたスポットライトのひかりを感じて、やわらかく幸せだったことを想いだす。

わたし含め参加者七人の名前を呼び合って、幕を閉じた。
おわったあと、どばどばどば、どばばばば、と涙が出てきた。

人前で(いや、人前じゃなくても)こんなに泣いたことはかつてあっただろうか?
止められないという経験ははじめてだった。

感情が溢れることに慣れていなくて、なんだかすごく不自然な、おかしな泣き方だったと思う。

参加者の方がちょっと引いている感じもわかったけど、そんなことより、そういうふうに泣けたことが驚きで、うれしかった。

 

エンディングテーマをうたったわたしは、「わたしの夢は虹」といっていた。
あの日心にかけた七色を忘れない。

 

いまもずっと、どうしたらいいのかわからないままだけれど、流れ流れて、いまここにいることを想う。

 

PS:あとで発表会のDVDをもらったのだけれど、恥ずかしすぎて、いまだに観れていない。

《にんぎょ(う)ひめのテーマ》

♪夢の中でしか聴けないメロディー
目を閉じたときに光るスパークル 海
船乗りが導いていくのは
青く光る あのひとみの向こう

国際人形劇連盟 NPO 法人日本ウニマ会員。
人形劇団の養成所などを経て、大きな人形劇団に入団し人形劇役者となるも、心が弱く 1 年経たずに退団する。
人形劇に若干拒否反応を起こしながらも、その後人形劇団シュールクリーム一座の人間メンバーとして独自に歩みはじめる。


卒業論文:「劇人形のモンタージュ:モノ(が)語る身体のメタフィクション」


ゆめはファンタジーを再定義すること。