水を最近みつめたのは
落ちた桜の花びらに感謝して
見つめていたいから
でもキラキラと花びらを乗せて
水面はきれいなのに
なぜ水の中は苦しいことしか想像できないのだろう
川を見つめるのも好きだけど
水を見つめるでなく
川が好きだから見つめていて水が好きなわけではない
水は嫌いだけ川と海の音や
風景は眺めていた
生まれてひとは水と初めて文字と出会うのはいつなのだろう。
生活の中で水はあったけど
わたしの意識したのは当たり前の生活の中の水ではないものは
強く意識したのは
4歳の時バレンタインの日チョコを2人にあげたわたしは
水野くんはわたしの幼稚園の時の二股かけた男の子のもう1人の好きな子だった。
博士でいろんな詳しいことを知っていた。
水 みず この響き好きだった
を意識したのは
みずのくん
水な響きが綺麗だなと思ってた。
そんな幼稚園からすぎて
小学生のとき水が嫌いだった
水への思い出は苦しく怖いきらいなんかよくないものだった
怖い存在だった
プールなんて地獄だった
水のあの大きな溜まり場は恐怖でしかなかった
コップの水はこわくないのに。
教室の暑い中で真夏
教科書のトマトが喉がカラカラで食べたくてしたかった時には水筒の
水からだった
トマトのイラスト水を思い出して1時間の授業はトマトな水分の妄想で終わった時もあった
コップの水がほしいという思い出はあまりよくない。
あと
8歳くらいの時
コップの
水と対決した時もあった
お風呂上がりテレビみてコップで水を飲んでいた
わたしは水の重さになぜか自分の
噛む力で対決したくなったのだ
それに私は負けたくなくて
グラスに水を入れて
噛みついたまま口でグラスを手で持たずに
もてるとではいかと
水と対決をした。
すぐに バリンと
床に落ちて
われたガラスだらけになった
水の重さにわたしの噛む力がまけたのだ。
あのときのなんか、むなしさはわすれない。
コップの水に負けてしまった
それから11歳くらい絵を描くようになったわたしは
水彩絵の具か大嫌いで
アクリルがすき。だったつけたい絵をつけたいいろにできないことが
ぼやけるのは気持ち悪かった
アクリルはにじまない。
そして、筆を洗うピンクの色はだいすき
でも黒を入れた瞬間後の水は大嫌いだった
何を入れても汚い色の水だったからだ
そんな思い出をとおりすぎ
大人になってからも
水に流すとかいやできごとに執着したいし怒りを爆発させたいし流すなんて静かに装うのは
むりで
水なんて氷となら相性がいい
とおまったことがあって
それは水
叩いてもパンと跳ねて
氷ならバリンと壊れるからだろう
わたしは勝たないと嫌なんだきっと。
嫌な出来事も爆発させて
執着して怒って叫んで水に流すなんてしたことあるだろうか?
火をつけてもやして
でも流せばよかったできごとだったなと
いつもいつも戦って
負けてきたように思う。
わたしは水よりそれでも火のタイプだなとおもう。
水は苦手だ
だって
裏表ある人間のように変化する
蒸発したり水であったり氷であったり
だからわたしはどうしても理由をこじつけても
水は怖くて苦手だ
水の記憶はいつも。
コップの水とプールの水とわたしは子供の時戦っていたけど
水野くんだけは優しい男の子だったと優しくなれる。気がした。