喫茶店でひとりで過ごす時間が好きだ。
なんとなく決めている「わたしの席」に場所をとり、いつもの飲み物を注文する。
家を出る前に本棚から取り出してきたお気に入りの文庫本をポケットからテーブルに置き、汗をかくわけでもないのにリバティプリントのハンカチをその横に並べる。そうすると、数分後にはアンティークのテーブル、コーヒー、本、花柄、わたしの好きなものだけで視界が埋め尽くされる。
コーヒーを口にし始めると、本を読み進めることを忘れてしまう。
電車に遅れそうになりながらせっかく選んだ一冊なのに、決まって読まずにぼーっとするだけだ。家を出る前、わたしは何をしたかったのだっけ。終いにはそんなことを忘れて、そのときの思いのままに過ごすことができる。
だから喫茶店でひとりで過ごす時間が好きだ。
喫茶店にいると、いえのことを思い出す。
うちの夫は、1分間も静かにしていられない。すぐに声をかけてくる。
うちの犬は、わたしをソファにひとりで寝かしてはくれない。そのうえ、隙あらば本の四隅を余すことなく齧ってくる。
とてもじゃないけど、リビングルームは本を読む場所にはならない。
家にいれば、さわがしくてやかましくてたまらないものが喫茶店にいると、なんだかそれらが愛おしく思えてくる。そろそろ帰ろうか、と自分の戻る場所が恋しくなる。
わたしの帰るところを思い出させてくれる、だから喫茶店でひとりで過ごす時間が好きなのだ。
そんな時間の中で、ぼーっとしながらコーヒーを飲み、思いをめぐらせる。
ただ、心がゆるむ。肩のこわばりがほぐれる。
あれ、蹴った。
おなかの中のむすこが動いている。
そういえば今日の2杯目は、無意識にディカフェのコーヒーを注文していた。
来年のいまごろは、ベビーカーに彼を乗せてここに来られているかしら、そんなことも考えていた。
ひとりで喫茶店で過ごす時間が好きだった。
でも今は、ふたりでいるんだと実感する喫茶店の時間が、もっと、もっと好きだ。