胡桃堂喫茶店

特集・如月篇[令和七年]喫茶店

ユリ

mnk

初めて自分の意思で行った喫茶店ってどこだったんだろう
と記憶の糸をたぐる。

・・・

マイシティのトイレで、おさげをほどいて手櫛で整えながら鏡越しのユリに話しかける。
「今日どうする?」
「ツタに行って珈琲飲みながらゆっくり決めよ」

ルーズソックスに履き替え、スカートのウエストを3回内側に折ってからラルフローレンの白セーターを着る。
怖いもの知らずだった私たちは真っ黒に日焼けして、小麦色の肌をしていた。
ユリは日サロ、私は部活焼け。
着替えを取り出して空っぽになった鞄に、さっきまで着ていた地味な紺色のブレザーを詰め込んだら準備完了だ。

マイシティを出たらアルタの横を通ってツタに向かう。

私たちのお気に入りの喫茶店は歌舞伎町のど真ん中にあった。
ビカビカと光る店が立ち並ぶ街に突如現れる鬱蒼とした蔦に覆われた建物。
私たちは勝手にそこをツタと呼んでいた。
どっちが最初に見つけたのかは覚えていない。

赤いビロードの椅子と店内に充満する煙草の香り。
女子高生の私たちからすると、ツタの店内は「まじで変な人」だらけだった。
それがまた落ち着いた。

校則の厳しい学校で帰宅途中に立ち寄りできるのは書店だけ、それにさえも毎回保護者と学校の許可証が必要だった。
学校周辺の繁華街には必ず見回りの先生がいる。
でも、ツタに入ってしまえば絶対見つからない。
そんな気持ちになれる秘密基地のような居場所。
特に中二階の席が好きだった。

ユリと私は帰る方向が一緒というきっかけで仲良くなった。
地下鉄で何度か会ううちに「一緒に帰ろ」と声をかけに来てくれるようになったのだ。
ユリは私に、ポケベルとかイラン人から入手したテレカとかピッチとか他校の鞄とか、他にもたくさんのちょっとした内緒やドキドキを調達してきてくれる大人っぽい友人だった。

ツタで珈琲を飲んだあとカラオケに行くと、ユリはいつも「ねえ、ジュディマリの新しい曲歌って」とリクエストしてきた。

高3になった頃、ユリは突然学校に来なくなった。
ケータイも繋がらず、自宅を訪ねても不在で会うことはできなかった。
ひょっこり顔を出すような気がして一人でツタに行く日もあったが、ユリは来なかった。

・・・

薄暗い店内で、隣の席から聞こえてくる話に笑いを堪えるユリのあどけない表情を、えくぼを、今でも鮮明に思い出す。

mnk

胡桃堂喫茶店の近隣住民です。