胡桃堂喫茶店

特集・葉月篇「グラス」

お冷

影山知明

胡桃堂喫茶店でお冷を出すときに使っているグラスはイタリア製で、ボデガグラスという。ボデガとはメーカー名ではなく(メーカー名はボルミオリ・ロッコという)、こうしたスタイルのグラスのことをそう呼ぶのだそうだけど、それ以上のことは知らない(知っている人いたら、教えてください)。

実は胡桃堂喫茶店では開店当初、すべてのお客さんにお猪口で麦茶を出していた。でも麦茶は無料なのに煎茶(国分寺茶)やほうじ茶が有料なのはなんで?とか、もっとゴクゴク飲みたいのにとか、うまくはまらなくてやめた。
そして改めてお冷を出すとなったとき、このボデガにすることにした。重ねられるとか、耐熱性があるとか、食洗機対応とか、そういった実用性に加えていいなと思ったのはこの少し横長のフォルム。日本で元々このポジションにあるものはお茶碗。お茶碗も寸法は横長だ。だからか、100年前の喫茶店のような意匠のこのお店の卓上に、このボデガがうまくなじむような気がしたのだ。

お客さんが来たら、グラスにお冷をついで出す。文字にしたらたったそれだけのことだけれど、1日に何度となく繰り返されるこの行為においても「最高のお冷出し」を追求するとなれば、考えることはたくさんある。

まず水をどこまで注ぐか。7割くらいがいい。あんまりなみなみと注ぐと野暮ったいし、あんまり少ないとケチな感じがする。7割くらいがいい感じ。ただ、夏は気持ち多めの方がいいし、店内が忙しくてなかなか注ぎ足しに行けないような状況のときには、あえて9割近くついでしまうこともある。複数人のテーブルに出すときには、水位をそろえる。
もちろんどんな水を注ぐかという問題もある。胡桃堂喫茶店では浄水を出しているけど、お店によってはそこにレモンを入れたりしていることもあって、あれは好き嫌いがある。悩ましいのは氷を入れるかどうか。ぼくは個人的には、それが冬でも、生ぬるい水はあんまり飲みたくなくて、しゃきっと氷で冷えた水が飲みたい派。でも最近は体を冷やすからと、常温の水を望まれるお客さんもいる。なので余裕があるときは、水をスタンバイするサーモス(ポット)のうち1つを氷水、1つを常温に近い水にして、お客さんの顔を見て注ぎ分けたりもしている。

あとは水をテーブルまで持っていくタイミングも大事だ。スタッフ側のリズムとしては、お客さんが席に着くなり持っていきたい感じはあるが、それではお客さん側の呼吸が整わない。席に着き、荷物を置き、ひと呼吸してメニューを見始めたくらいのタイミングで持っていく。そうするとお客さんの視野にこちらの存在も映るから、軽く会釈なんぞしてくれることにもなる。そうやって呼吸を一緒につくっていく。
個人的には、置くときの音も追求している。ゴンと乱暴に置くのはもちろんあり得ないにしても、すうぅーコンッくらいにひそやかに置きたい。こういうところこそロボットに負けられないって思う。でも、大きな音をさせずにグラスをテーブルに置くには意外に運動神経がいる。ひざも使う。

スタッフ間で大いに議論になるのは、どの状況で注ぎ足しに行くかだ。割合早めに、つまりグラスにまだ2割くらいの水が残っているのに注ぎ足しに行きたがるスタッフがいて、それこそがいいサービスだと考えている節もある。ぼくはもうちょっと待ちたい派だ。なぜなら、「お水を注いで欲しいな」という欲求の発生を待ちたいからだ。グラスにまだ2~3割の水がある状態で注ぎ足された場合、「ああ、まあね。注いでくれるのね」という感じに受け止められる。正直そこには、感謝の気持ちが発生している感じはあんまりしない。だって、店側が勝手に注ぎ足しに来ているのだから。それと比べると、水が残り1割を切って、ないしはほぼ空っぽになって、「水が欲しい」というニーズがかなり意識化された状態のお客さんのところに水を注ぎ足しに行くと、「ああ、まさに。そうそう。ありがとう」という感じで、感謝の気持ちを表明してもらえることが多い(気がする)。そうするとこちらにとっても、「水を注ぎ足す」という仕事が実際に「あった」という手応えとなって残り、甲斐がある。ただこの「1割理論」のためには、その状態であることにいち早く気が付ける、空間把握能力(大げさ)と注意力が必要であることは言うまでもない。「お冷、もらえますか」とお客さんに言わせてしまうようではこちら(ホールスタッフ)の負けだ。

最後に、お冷を注ぎ足しに行かなくなるときについて話をしよう。
正直、われわれ店のスタッフも、すべてのお客さんを愛せるわけではない。たとえば、お冷を出そうが食事を出そうがお冷を注ぎ足そうが、うんともすんともリアクションのない客もいる。友人とのおしゃべりに熱中していたり、集中して本を読んでいたり、喫茶店での時間を堪能してくれている感じのときは、こちらもうれしくもあり微笑ましくもありまったく構わないのだけれど、そうでもない感じなのにこちらの行為にノーリアクションのときは、まるでこちらが存在しないかのような気持ちになって、こちらがまるでまったく価値のない者になった気がして、切ない気持ちになって、それがあんまり続くとそのお客さんのことを嫌いにさえなる。そういうときはもうグラスが空っぽになっていても、お冷を注ぎ足しに行かない。勝手にすれば、って。ぼくの場合。

でも心配無用。シフトは交替制だ。ぼくから次のスタッフへとホール業務が引き継がれれば、すかさずそのグラスはお冷で満たされることになるだろう。空っぽのグラスをそのままでは見逃さない、注意力あるその新しいスタッフの手によって。

影山知明(かげやま・ともあき)

胡桃堂喫茶店 店主。お店には、毎週だいたい土曜か日曜にシフトに入る。でもできることが少なくて、他のスタッフには迷惑がられることが多い。でもやめない。好きな言葉は、「ゆっくり、いそげ」。50年続くお店づくりを目指している。
Twitterアカウント:@tkage

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