胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇[令和七年]心がデカめに動いたとき

最後の大きな贈り物

日々のひとしずく

人生観がひっくり返るくらい心がデカめに動いたのは、
この50年弱の人生でおそらく数回。

1番最近は5年前。2020年3月4日。
桃の節句の次の日。母の他界。
この日、私の人生観は大きく変わった。

――楽しく生きよう!

きっとそれまでも私の心の中に、このフレーズは潜在的に存在していたけれど、
まるで小さな芽がスッと地中から顔を出す瞬間のように、
3月、この言葉がくっきりと私自身に形作られた。

母は、他界する6年前から肺病と診断されていた。
寿命に関わる難病で、治る見込みはなく、呼吸が少しずつ苦しくなる病。

そして2019年12月。旅立つ4ヶ月前。
急に病は進行し、緊急入院をした。
4ヶ月間、「あと数日かもしれません」と告げられながら、母はそれを3度、持ち直した。
母の気力にはいまでも脱帽する。

その間、毎日のように送られてくるLINE。
その日の病状や感情が、数行の文字に変換されて私の手元に届く。
私は悲しみを隠しながら、「ご飯食べて、しっかり寝てね」なんて返答しつつも、
次第に食べられなくなり、良くなる見込みのない自身を受け入れられず、
眠れなくもなっていく母を目の当たりにしていた。

2020年3月4日。
母が旅立った瞬間、私はなぜか「本当に死ぬんだ...」と思った。

寿命に関わる病だと知りながら、ベッドに横たわる、弱りゆく母を数ヶ月見続けながら、
それでも私は「母の死」というものは永遠に来ないと思っていたようだ。

旅立ちに直面し、人生は有限なんだ、とわかった。
ということは、私も死ぬんだ、ということもやっと直観した。
有限の人生、ならば私は楽しく生きよう!

なぜかそういう思いが自然にふっと顔を出した。
小さくても力強い芽吹きのように。2020年3月4日。

それからの私は、おかげさまで楽しく生きていると思うし、
楽しく生きようとしている。
(もちろんいろいろあるけれど)。

母の死は、私への最後の大きな贈り物だったと思う。
感謝。

日々のひとしずく

国分寺在住。少しずつ、地域と繋がりを育んでいきたい。
時々、頭にふっと降りてきたことをわわわーっと文章にする作業が好きです。


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