胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇[令和七年]心がデカめに動いたとき

歯みがき

佐々木りさ

去年の秋、初めて自分以外の誰かの歯みがきをしたことを思い出した。

思い出したのは、愛犬・だんくんの歯みがきをしていた今朝のことだった。夜になるとどうしても億劫になり、朝のうちに歯みがきを済ませることを習慣にしている。ペット用歯みがきシートを指にくるりと巻いて、膝の上にだんくんを寝かせる。そのまま、少し無理やり口を開いて、指の届く限り歯の表面を拭く。おそらく本人は噛んでいる遊びをしているとしか思っていないだろう。シートで一通り拭くことができたら、指に歯ブラシを持ち替えて「リーフ味」のなんだか美味しそうな歯磨き粉をたっぷりとつけてだんくんの口に入れる。これまた、本人はおやつの時間としか思っていないだろう。そう思ってもらえる短い隙に、シートで拭ききれなかった臼歯の溝を磨くように試みている。
果たしてこれが犬の歯みがきの正解なのだろうかといつも少しもやっとしながら、一応の習慣として確立させてきた。

振り返ると、最初はこうも簡単には行かなかった。わたしの膝の上に寝転がることを拒んでいたし、彼の歯や爪でわたしの手にたくさん傷をつけた。犬と暮らすのがまるっきり初めてだったわたしにとっては、悪戦苦闘の日々。歯みがきは暮らしの中での最難関のお世話だったような気がする。
本来の犬の生き方には、道具を使った歯みがきの習慣なんてないし、人間のエゴでこんなことをして苦しめていないだろうかと葛藤していた。それでも、歯みがきを怠った時に起こりうるリスクや病気を考えるとしたほうが良いという考えが勝り、時間をかけて構築した関係性とわたしの歯みがき技術の向上、だんくんの慣れとが相まって、なんとかそれらしい形におさまってきたように思う。

 

30年近い人生、歯みがきをするとかされるとか、考えもしなかったと唐突に気づいた朝だった。ごく当たり前の習慣として、食事の後や眠る前に何の考えもなしにすること、ただそれだけでしかなかった。
でも、物心つく前は両親がしてくれていたはずだ。小学校に入りたての頃は確か、仕事で忙しくしていた父親が週末になるとソファの上で歯石を取ってくれるわが家のならわしがあった。兄とわたしで楽しく順番待ちをしていた。
小さいころは自分でできなかったことが、今や人にされていたことをすっかり忘れるくらい、自分ひとりで完結する習慣になっている。当たり前のことだけれど、人間ってそうやってどんどん自分のことを自分でするようになっていくんだと、わざわざ考えないことに思いをめぐらせた。

じきにわたしは、だんくんに加えてもうひとりの歯みがきを担うことになる。もうすぐ生まれる予定の息子に歯が生えてきたら、また0から誰かの歯みがきをするということを習得していかないとならない。彼はわたしのする歯みがきを受け入れてくれるだろうか。大騒ぎ、大泣き、わたしのする歯みがきが嫌すぎて、わたしことまで嫌いになったらどうしよう。まだ始まってもいないことにもう不安を抱いてみる。

でもわたしは、だんくんの歯みがきをしていた今朝、もうひとつ、心がデカめに動いた、大切なことにも同時に気がついたのだ。

いつか絶対、歯みがきをする「最後の日」がやってくる。
そう、物事には「最初」があれば、必ず「最後」もやってくる。

やってみたこともない子どもの歯みがきの最後をもう想像するなんて、あまりに早い気もするけれど、最後が来るのかと思うと、どんなひとときも、いくら大変でも過酷でも、愛おしく思えるのだと思う。
歯みがきをひとつとってここまで思いをめぐらせてみたけれど、それはきっといろんなことに応用が効く。おっぱいをあげるのが辛い、なぜ泣き止まないのか分からなくて心が痛い、食事を思うように摂ってくれず不安で心がいっぱいになる、同じ月齢の子に比べて歩き始めや話し始めが遅くて精神的に追い詰められる。育児って、これまでに思い悩んだこともなかったようなどうにもならないことが止めどなく襲ってくるものなのかもしれない。でも、子どもはいつか大人になり、自分のことを自分でするようになっていく。自分が必要とされる「最後」の日はあっという間に来てしまうかもしれない。
「最初」はわかりやすくて、簡単に記念になる。しかし「最後」はその時からしばらく時間が経ってみないと、それが本当に最後だったのかわからないことが多い。そう思うと、ひとつひとつ、今起きていることを「最後」だと思いながら過ごしてみることで、人生の一瞬一瞬がより尊くて愛おしいものだと思えるようになるのかもしれない。

 

これはきっと、きれいごと。
こんなふうに考えながら過ごせたら、それはもちろんすばらしいことだけれど、人は渦中にいると辛さばかりに目がいってしまう。
だからこそ、きれいごとを言えるいまのうちに、自分の人生のエールになるように、きっといつか、いろんな「最後」が来た時にデカく動く心のために、ここにこれを残しておく。

 

誰かに歯みがきをされる日だっていつしかきっとやってくる。
いま、生まれて初めて、自分の人生のそんな瞬間を想像してみた。
そのときに、息子はどんなことを思ってくれるのだろうか。わたしは、どんなふうに子どもとの人生を歩んでこられたと思い返すのだろうか。

ここ最近の夜の習慣は、だんくんを歯みがきするときと近しい姿勢で膝に乗せ、でもそれよりももっと優しくまるっと彼を抱きしめること。そして、肩をとんとん叩いていると彼はいつの間に寝息を立てている。眠りについたその瞬間に、だんくんもこれから会える息子も、今日を懸命に生きてくれていたんだと感謝の気持ちを募らせる。
この習慣の「最後」が今からずっとずっと、ずっと先になりますように。ただ、そればかりを祈る。

佐々木りさ

高校在学中、英国・オックスフォードへの短期留学を機に、古いものを大切に継いでいく文化に惹かれ、英国のとりこになる。以来、英国の文化・言語・お菓子について学びを続けている。
間借りティールーム littleworthを主宰し、お菓子とことばを届ける空間をつくる傍ら、対面やオンラインで小〜高校生と英語を勉強する場をつくっている。2025年初夏に出産予定。


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