胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇[令和七年]心がデカめに動いたとき

わたくし事ですが。

きときと

 私は、15年間公立の小学校で先生をしていました。小学校の先生というのは、児童期の子供に向き合って、日々成長を見守るとても素敵な仕事です。私もそう思っていました。

 先生の仕事は、とても重要な仕事であり難しい仕事です。私は、できていることよりもできなかったことの方に目を向けるようになりました。今日も授業はイマイチだった。今日もあの子とうまくかかわれなかった。気が付けば、「うまくできない自分」というレッテルを自分に貼っていました。

 こんなに向いていないのだから「もうやめよう」と大きく決心した日。退職届を出しても、ちっとも気持ちは晴れませんでした。あんなに好きな仕事、いい先生になりたかっただけなのに。そう思うと毎日毎日涙がでてきました。それでも「なんとか卒業式までは」と腹をくくって、仕事に向かっていました。

 心がデカめに動いたときは、そんな時期にやってきました。

 日曜日の夜、月曜日からの勤務の不安を思って、もやもやした気持ちで涙を流していると「ピンポン」と鳴りました。届いたのは、10年前の卒業生からのメッセージでした。そのメッセージを開けた瞬間に、自分ではコントロールできない、血がぐるぐるとめぐる感じがしました。脈があがって、嗚咽に近い涙がでてきました。これは後悔の涙だな。10年前もあの子たちに何もしてあげられなかった、自分を責める強い感情が動悸を起こしていました。

 あの時の卒業生にも後悔がいっぱいあって、私ができたことは何もなかったと思っていたのに、10年も経つのにメッセージをくれた。このことが言葉になるまで、うんと時間がかかりました。一人一人のメッセージを読むことはできませんでした。このまま自分が崩れてしまいそうで、あと何日か、今の子供たちの卒業式まで通えるかどうか分からなくなってしまうと思ったからです。

 毎年ね、その年のクラスを閉じると思っていました。「今年も毎日通っただけだったな」って。「何にもしてあげることができなかった」って。今は「15年間も毎日通えた、それでよかったじゃん」って思っています。

 これから教員の質の低下が問題になってきます。でもね、「毎日先生が来てくれている。それだけでいいじゃん」って「子供も毎日学校に通っているなんていいじゃん」って、そんな社会になったらいいなって思って、私は今日も子供に関心を寄せて、ただ聴くだけで関わっています。

以上、わたくし事でした。

おしまい

きときと

胡桃堂喫茶店で働きながら、学校で授業をしたり、自宅で子供や大人の話を聞いたりしている。ここ最近は「文体」という言葉を探究している。


きときとさんの記事一覧