胡桃堂喫茶店

特集・皐月篇[令和七年]心がデカめに動いたとき

舞台

たった数年前のことなのに、今よりずっとことばを持っていなくて、沈黙が自然だった。

あのときあの道を選んでいたら、今頃どうなっていただろう…

後悔しているわけじゃないはずだけれど、ふと考えてしまうとき。

なかったことにしてしまわない。あのときのこと。

 

卒業論文で人形劇について研究して、そのあと人形劇団の面接を受けた。
NHKの子供番組でもお馴染みの人形操演に関わっている、人形劇団では老舗のところだった。

専門的な演技経験もないわたしが、台詞を朗読し歌をうたい――
オーディションというものを受けた。

なぜか面接のときわたしはちょっと怒っていた。これ以外どうしたらいいのって。

 

3月21日。世界人形劇の日に、合格が知らされた。
声も小さいけど、想いは受け取ったとのこと。

入団までの一連の流れのはやさに心が追いつかないまま、稽古がはじまった。

えんしゅつかのひととか外部の照明のひとが腕を組んでみにくる。
そういえば舞台の役者って、四六時中みられる仕事なのか、ひいぃ…いやだいやだいやだ
わたしがどんな人なのかを掴もうと、役者の素質があるのか評価しようと、いろいろ言ってくる。
なんでみられなきゃいけないのか、みないでくれと思った。
わたしは、みていたいはずなのに…

じぶんで選んだことなのに、むか、としていた。

 

大学卒業後はじめての仕事。

同じ班についた先輩と…2人で一体の影絵人形を動かすこと。
2人でいのちを与えるために、まずお互いの息を合わせなければならない。

緊張して、ビクビクしていた。
与えられる役は、こちらから希望することはできないのだ。

みんなが力を注いでいる舞台という緊張感のある場に、なにもしらない素人のわたしがいびつにはいりこんだ。

技術もなく、人として優れているわけでもなく、役者をやりたいのかもわからないじぶんが舞台に立つということに、罪悪感をおぼえた。

きっと、なんでここにいるんだろうと思われている…
わたしが舞台に立つことは、祝福されているのだろうか…?

年代的には中間層くらいの別の先輩に、会って2、3回目くらいで「人間性を否定されるようなこともあるかもしれないけど、それは作品をよくするためだからね」といわれた。
なんでそんなこと言うんだろう、とかなしかった。
そんなふうに教えられてきたのだろうか。

わたしはひととみつめあうことが苦手だ。
その先輩の目は鋭かった。

 

劇場班での舞台の稽古。
影絵人形を動かす。
先輩が頭、わたしが脚を。
そういえば、わたしは誰かと共同でものづくりをするということに、人一倍コンプレックスをもっていたはずだった――

 

その先輩は、わたしが気にしていることをずばりとついてくるひとで、細かいことまでついてくるので、打ちのめされた。
同時に、傷ついているひとでもあると思った。
はじめて目を合わせたとき、目が深くって、その奥行きのなかにさーっと霧雨が降っているような――
悲しみと共にわたしを受け入れてもらえた気がして、不安でしょうがなかったわたしはぬいくるまれた。
みつめあうことを、はじめてしたような気がした。

それに、ひとによって印象が180度くらい変わるひとで、まいにち印象がちがくみえた。
あるときはこどものようで、またあるときは歳をとってみえた。
爪を噛む癖と、髪の毛をくるくるする癖があった。
信用できない部分もあるけど、なぜか信用してしまう部分があった。

変わることを怖がっていたわたしに、「変わってもいい」「人は多面的なんだ」といってくれた。
わたしに言っているようで、じぶんに言っているようだった。
じぶんが言ってもらいたいことばを、たくさんもっているひとだった。

なんだか、わたしが心の底でずっと解きたいと願っていた問題を、共有しているような気がした。
それがなにかをしりたくて、しりたくて。

そのひとは怖かった。他者だった。
でも、人形を動かすためには一緒に動かす人を受け入れないと動かせなかったし、その前にまず無力な自分を愛さなければならなかった。

生きるということをどうしたって突きつけられる舞台という場に、なんにもできないじぶんが立つためには、なまのいのちを、ただ生きてることそのものを、まず許さねばならぬのだ。
この世界に、ひらかれなくてはならない。
ここは、安全なばしょでみているだけにはさせてくれない。

 

ちょうどこの舞台の途中で、臆病なこどものねこが、はじめて魚と友達になりたいと思う、1つになりたいと思う、新しい脚本のレパートリー総会があって、ここに書かれているちいさなねこの描写と、いま舞台を経験してじぶんに起こっている得体のしれない感情が、ぴったりと重なるように感じた。
そこに描かれていたこどもの感情は、いまのじぶんの感情のこたえのかたちをしていた。

そういうふうに感じたことや思ったこと。それが先輩に届いてしまったと感じられる瞬間があった。
それは短くて、時間の流れにさらわれてしまうような儚いものだったけれども、確かに感じられた交流だった。

はじめて、ひとと心から繋がりたいって、こういうことなのかな、と思った。
わたしはそう思うことが、遅すぎたのかもしれない。

 

 

こうして、生き物でないモノを、虚構の舞台上で生きるものとして動かそうとすることではじめて、生きるということが腑に落ちた。

人形劇は、人形が生きているようにみえる、その事実が――ただ、生きていることそれ自体が目的になり、語りになりえる。

そうして生まれるにんぎょうは、いのちそのものだと思う。

人間は、おとなは、何かできないと認めてもらえないなら、生きられないなら、かなしく思うし
そんな社会には怒りさえ感じる。
どうしていろいろなことが、むずかしくなってしまうのだろう…
ずうっとこどもでいられたらいいのに。
ただ、みつめあってわらえたらいいのに。
それでも、わたしは日々、変わってもいるし、変わったっていい。

 

結局その人形劇団は辞めてしまった。
感じた感情は、私的なもので、プロの現場では、むしろ邪魔なものだったのかもしれない。
それは仕事ではないと、責められてしまうものだったのかもしれない。
在籍中、「考え過ぎよ」「意味なんてないのよ」といわれた。

でも、じぶんを超えて、目の前のひとへの愛からにんぎょうへの愛に届かなきゃ、舞台には立てない。
人間を愛さなきゃ、人形劇はできない…。
そのために、ただ生きることを、許さねばならない。
わたしにとっての人形劇は、そういうものでありたかった。

 

にんぎょうを動かすことは苦手だし怖い。
わたしじゃにんぎょうを生かせられないよ、って思ってしまう。
とてもむずかしい。

ほんとうは、にんぎょうのこと、好きじゃないのかもしれない。
にんぎょうを手放して、もっと自由になりたいと思うこともある。

矛盾だらけだ。

でも、わたしのいのちを尊重したいから、これからもたぶん、
「人形劇団 シュールクリーム一座」を名乗るんだとおもう。
ちいさくてよわくて、不完全なメディアとして――

 

人形劇が教えてくれた、愛のかたち。

見渡してみれば、いたるところにそのようなものはある。

めをふさいで、みみをふさいで、なかったことにしてしまっていたもの。

にんぎょうが教えてくれたそれは、ほんとうは、日常の中に溶け込んでいて、
木がたたずむようにそっと、見守ってくれている。

そう、信じたい。

 

追伸:ここに柚の木を置いておきます。

人形劇団シュールクリーム一座の人間メンバーで、国際人形劇連盟NPO法人日本ウニマ会員。
人形劇団シュールクリーム一座は、ちょっぴりいびつで不器用なにんぎょうたちが旗揚げした劇団。
別名「ちいさくてよわい不完全なメディア」
にんぎょうとにんげんが共に生きる舞台をめざしているが、活動内容は定かではない。
現在、人間メンバーを募集中である。


卒業論文:「劇人形のモンタージュ:モノ(が)語る身体のメタフィクション」


ゆめはファンタジーを再定義すること。


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