胡桃堂喫茶店

特集・水無月篇[令和七年]ファンタジー

想像の想い出

齋藤るる

「ごはんですよー!」
子どもだった私は、園庭で遊んでいる仲間たちに、大きな声で呼びかける。
私がいる場所は園庭に出るための下駄箱の前だ。すのこの上。
先に気づいて上履きに履き替えた子たち数人がみんなにそうして呼びかけるのは日常の景色だ。
みんなはジャングルジムに乗ったり木登りしたり一生懸命遊んでいる。
賑やかな園庭。そのため私や何人かの子たちの「ごはんですよー!」の声は仲間に届かない。
「ああ!聞こえないんだ!どうしたらいいんだ!そうだ!こんな時、私の口がペリカンみたいになって、そのペリカンの嘴が長〜くなって、あの子の耳元にもあの子の耳元にも届いて『ごはんですよ』って教えてあげられたらいいのに。」と思った。自分のそんな想い付きがおもしろくて私は更にいきいきとした。
保育園児だった頃の想い出だ。

それから、もう一つの想い出は、家から少し距離のあるところの交差点での想い出である。
赤信号になった横断歩道の手前に私は居て、横断歩道を渡った先の食料品店を見ている。しゃがんでいたのか、背が低かったからなのか、映像としては視線が低い。
食料品店には、透明なガラスの戸棚に瓶に入ったコーヒー牛乳が並んでいる。
「美味しいんだよなー、あれ。」
いつか誰か大人に、銭湯とかで気まぐれに買ってもらって飲んだことがあったのだろう。
その美味しさは想像するだけでキラッキラとしている。その場の空気までキラッキラと輝いた。
「大人になったら、わたし、買って飲むんだ!」
そう決心した。
ひとつ、目標が出来た。
これは6、7歳頃の想い出。

今想い出しても心がほわっとなる。
愉しい。
だから大人になるまでも、何度も繰り返し想い出していた。
幸せだ。
自由だ。私が私である。なんだってできる。

だけど、同じ想像でも、とても苦しくなった想像もあった。
多分、6歳くらいの時。
それは居間にあった木製の引き戸の付いた押し入れに入っていた。柔らかい表紙で出来た幼児向け絵本雑誌の中にそれはあった。
デフォルメされて描かれた「ひよこのピーコちゃん」がチョッキを着ている。だけれど、チョッキのボタンが一つずれてしまっている。脇には「まあまあ、ピーコちゃん、どうしましょう」みたいな言葉が書いてある。
私は目が点になった。サッと血の気が引く想いがした。
「私には直せない!」。ピーコちゃんがボタンを掛け違えてしまっているのを目の前で見ているのに、私にはどうすることもできない!
そう思った。
私はなんでも出来るんじゃなかったのか!
自分はなんでも出来ると思って、道を歩きながら胸を拳でドン!と叩いて「どんなもんだい!」と心で呟いていたはずの私が、この絵本雑誌の前ではピーコちゃんの掛け違えたボタンをどうしたって直すことができないのだ。
過酷な現実。
社会は厳しい。
私は小さい。
私は無力だ。
そう感じた。

想い出すと、今でも苦しくなる。

齋藤るる

西国分寺在住。好きなメニューはクルミドティーと赤米定食。優しい夫と、爬虫類好きな長女、アーティストを目指す次女との四人暮らし。困ったことを解決するのが好き。モットーは「愉快にたのしく努力する」。


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